アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

「他人の目が気になる」というのは自然なこと。でも、ほとんど妄想。

アラフォー童貞のODです。

 

「他人の目が気になる」

「周囲からどう思われてるのかが気になる」

「変に思われているのではないか」

「さっきの態度は失礼なのでは・・・」

 

このように、私たちは日常生活において他人の目を気にしながら生き、そして苦悩します。これは社会人であろうが学生であろうが、若い人でも歳を召した方でも、何なら幼稚園児だって他人の目を気にしてしまいます。

 

事前にお断りしておきますと、自己啓発本のような「他人の目を気にするな、自分は自分だ。自分の『今』に集中するんだ」なんてことは言いません。それどころか、他人の目が気になるというのは、どうしようもありません。

私たち人間は、集団でお互いを支え合うことを前提がプログラムされております。それは原始時代に遡り、集団から嫌われたら食料を分けてもらえないといった弊害を、遺伝子レベルで本能として理解しているのです。生命に関わる話と思っているのです。そして、誰しも集団から外れるときの弊害やリスクというものを、幼少期からどこかのタイミングで体感するものです。そうして、人間は嫌われると生きていけないということを肌感覚や世の中の常識として理解するにつれて、他人の目というものを気にする度合いも増していくことになるわけです。

 

しかし、他人から嫌われること・集団から外れることの弊害やリスクって、この文明社会においてはどの程度のものでしょうか? 集団の輪から外れることは自己否定された気持ちになったり、悲しい気持ちになったりするものの、実際はその特定の集団から外されただけであって世の中全体から外されたわけではありません。悲しい気持ちになったとしても、何も命まで取られるわけではありませんし、理解不能な暴力はさておき、怪我をするということもありません。逃げようと思えば逃げることだって可能です。

 

また、現代人は集団で生きているものの、上記のとおり命の危機までに至ることはありません。そのせいでしょうか、命の危機がなくなり余裕ができた分、余計に他人の目を気にしてしまうのかもしれません。つまり、原始時代では「このグループから外れると食べるものを分けてもらえないかも」という心配が現代人はなくなったのに、その心配をしていたスペースに「あれ、ここは何もないけれど、ここの部分についても他人のことを気にしなくてはいけないのでは」と考えてしまって、しかし何を気にかければいいのか分からないまま、やみくもに気にしてしまうようになります。

 

すると、どうなるのかと言うと、余計な心配をするようになります。他人の1つ1つの動向や仕草を自分のことと結び付けて、あーでもない、こーでもないと考えるようになります。言ってしまうと「妄想」です。

 

そうです、現代における「他人の目」は、ほとんどが妄想と言っていいのです。

 

そもそも、他人が自分のことを悪く思っていると気にしたとき、それを対象となる他人に確認したことはありますか? もちろん、他人のことを気にしている人が「私について何か気に障ることはありますか」なんてことは聞かないでしょう。それに、仮にそのように他人に確認したところで、おそらく「へ? 何のこと? (別にあなたのことは特に気にしていないけれど)」という反応をされて終わりなはずです。

 

また、「●●さんがあなたのことを悪く言っていた」なんて話も真に受けないほうが良いです。人づてに聞いた自分の話ほど、信憑性がないものはありません。そもそも、誰かが言ったことを、一言一句間違えずに別な人に伝えることはできるでしょうか。少なくとも私はできません。おそらく、「たしか、こんな感じで言っていた」となります。メモを取っていたとしても、一言一句間違えずにというオーダーは困難です。それに、他人を経由した言葉・文字というのは主観(妄想)が入るものです。それなのに「●●さんが言っていたよ」なんて、よく言えたものだと思います。だからこそ、他人の悪口なんて言ったところで、結果的に自分の価値を低くすることになるのです。

 

そもそも、自分が見る他人への評価だって怪しいものです。他人が言っていることに賛同したとしても、その人は全く違う考えをしているかもしれません。反対に、価値観が違うと思っていた人の意見が実は自分と同じ方向を目指していたこともあります。このようなことは他人だってしかりです。お互いに信憑性のない考えや態度をして、お互いに妄想し合っているのです。そう考えると馬鹿らしいですし、一方で愛おしさすら感じてしまいます。

 

何度もお伝えしますが、他人の目が気になるというのは自然なことです。しかし、それは現代においては妄想の割合が増えており、それで脳と心がオーバーヒートしているのも事実だと思います。

もしも、他人の目に疲れたならば、まずは「人のことが気になるのは仕方がない。それが人間だもの」と受け止めつつも、「あ、また妄想しているかも」と、自分自身の視点を変えることもしてあげてはいかがでしょうか。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。