アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

自分に都合のよい情報は「正しい情報」とは言えない

アラフォー童貞のODです。

 

現代は分からないことがあると、スマホ片手に検索エンジンで気軽に知りたい情報を得ることができます。このような状態に対して「インターネット上で見ただけで知った気になって、実物を見たり実際にやってみたりしない」という、知識だけの経験不足を危惧する声もあります。

まあ、このような考えは理解できないわけでもありません。私も仕事で指導する立場ではありますが、インターネットで検索してばかりで一向に行動に起こさなかったり、ちょっと検索すれば出るような情報を得意げに紹介したり、こちらが「で、これを君はやってみたの?」と聞くと「いえ、やってみてはいないですけれど、こうして他の人がやっているので」と日本語は理解できるけれど、話が噛み合わない人もおります。

きっとこのようなタイプの人にとっては、インターネット上で既にやっている人がいたり、多くの人が実践してみてうまくいっているのを見つけたりすると、それは自分がやってみたことがなくても自分の経験と見なしたり、「正しい情報」と思い込むのでしょう。このように書いている私自身も似たような思い込みをするので、決して強くは言えません。

とはいえ、インターネット上にある情報というのは、企業や団体・機関などの公式情報ではない一般人たる個人が発している情報であっても、それは1つの考えや知見であるので有用だと思っております。それらに対して多くの人がアクセスしたり、アクセスした人たちが情報を活用して有用性を感じる割合が多ければ多いほど、それらの情報に信憑性が高くなるというのは理屈は合っていると思います。

 

しかし、注意しないといけないのが、アクセス数や有用性を実感した人の数が多いからといって、それが自分にとって「正しい情報」であるとは限らないということです。これは言い換えれると、自分が検索エンジンに入れたキーワードをもとに出た検索結果が上位に表示されるからといって、自分にとって「正しい情報」とは限らないということです。これはインターネット上にある情報を知っただけで知った気になるな、という言いたいわけではありません。数の多さは情報の信頼性につがなるかもしれないけれど、その情報ははたして、自分が得たい目的に正しく適合しているか? ということをちゃんと判断してほしいのです。

 

そもそもインターネットに限らず、人間が何か情報を得たいと思うときは目的があるはずです。そして大抵の場合、自分の中にある「こういう結果になってほしい」「自分はこう思う」に対しての「自分の考えを証明する証拠があればいいな」という意識が働きます。つまり、表面的には「正しい情報」を探す行為をしているのに、自分の考えを証明してくれる情報ばかりを探す状態になってしまうのです。検索の仕方も資料の探し方も、聞き取り調査をする場合も、自分にとって有利になるような裏付けのとり方をしやすくなります。そうして「ほら、こんなに自分の考えを証明する証拠が揃ったよ。だから自分の考えは正しいんだ」となってしまうのです。それはインターネットで検索するときは特に顕著で、自分の考えを立証してくれるようなキーワードを入れるものですから、それはそれは自分が納得する検索結果が上位に出てくるのも当然となるのです。それは果たして「正しい情報」と言えるのでしょうか。

 

ここで重要なのは、自分の考えを証明するために本当に重要なのは、自分の考えを否定する考え・裏付けです。自分の考えを否定したり、真っ向から反対の意見を突き刺してくるような情報と向き合い、それらすら論破できたならば、自分の考えは(ある程度)正しいと言っても良いかもしれません。

しかし、そうはいかないのが人間です。自分の考えを立証する情報をせかせかと探しているところに、自分の考えを否定するような情報が現れようものなら、目を背けてしまうのです。自分の期待する情報には公式だろうと個人の考えだろうと何でも飛びつくくせに、否定や反対意見の情報へは「まあ、こういう考えもあるよね」「あくまで個人の考えでしょ」と情報として不採用にしてしまうのです。

 

このように私たちは情報を入手しやすくなった時代に生きているものの、自分の考えを立証してくれるものにはウェルカムなのに、そうではない情報に対しては曖昧な態度を示すのが人間です。これはどうやら、古代ローマにおいて広場で賢人たちが議論を交わしていた時代から変わっていないようです。つまり、本当に大切なことは情報の質や量ではなく、それを求める人間のあり方や情報を受け取った人間の姿勢なのです。

 

もしも、自分にとって明確な目的があって情報収集をしたとき、それが「正しい情報」かどうかの判断をするならば、自分の考えを立証するものよりも、自分が成すべき真の目的を果たせるかどうかを基準にすることをお勧めします。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。