アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

「自分の頑張りを知って欲しい」と思うほど苦しくなる

アラフォー童貞のODです。

 

人が頑張っている姿を見ると勇気を貰います。自分も頑張ろう、落ち込んでいる場合じゃない、まだまだやれるはず・・・といったようにモチベーションにつながることもあります。それが回り回って、スポーツ選手や芸能人、企業家などの著名な方々もまた、うまくいかない時期などに「〇〇さんが頑張っている姿を見て、自分も頑張ろうと思いました」というファンレターや感想などを貰うと、また頑張ろうと奮起するという話もよく聞きます。

誰かが頑張っている姿に誰かが感銘を受け、それを受けて別な誰かも頑張ろうと思う・・・という循環ができるのは素敵な話だと思います。このような循環はたくさんあれば世界は幸せになるでしょう。

 

・・・と、良い感じで記事を負えたいところですが、このようなエピソードがあるためでしょうか、「頑張っている姿を誰かが見てくれているはず」という思い込みが多くの人に潜在的にあるように思うことがあります。それは「こんなに頑張っているのに報われない」「努力をしても実らない」「色々と提案をしているのに全然採用されない」「人よりも多く仕事をしているのに評価されない」・・・このような、頑張っているのに認められないといった不平不満が、いつの時代もあちこちに存在しているからです。

このような悩みを抱えている人たちに対して「あなたの頑張りは誰かがきっと見ているはずだよ」「多くの人は知らなくても、身近な人があなたの頑張りをちゃんと理解してくれている」といった優しい(?)言葉を語る人がおりますが、個人的には無責任だと思っております。だって、そのような言葉をかけるのは、頑張りを認められないと悩んでいる当人の頑張っている姿を、直接的に見ているわけではないから言えるのです。本当に理解しようとするならば、その人の頑張りを間近で見ようとするはずです。

 

一方、「誰かがあなた(自分)の頑張りを見てくれる」ということはあります。しかも、特定の誰かや少数の誰かだけではなく、割と多くの人が頑張りを見て知っているものです。しかし、頑張っている当人は誰からも頑張りを見られていないと思っておりますし、評価もされていないし認めてもらっていないと嘆いております。これはなぜでしょう? ・・・それは、頑張っている人が見てほしい「頑張っている自分の姿」と周囲が見ている「頑張っている自分の姿」が異なっているからです。

 

例えば、自分はプレゼン資料を作成するまでの苦労(資料集め、インタビュー、分析、休日出勤や残業など)という意味での頑張りを見てほしいのに、上司はプレゼン資料をパラパラとめくって「お、いいじゃん。じゃあ、今度のプレゼン頑張ってね」とだけ言って終わったら・・・おそらく自分としては「え、それだけ? もっと言うことがあるでしょう?」などと不満が残るでしょう。

しかし、このように客観的に見ればご理解いただける通り、別に上司も悪気はないですし、ちゃんと結果としての資料も評価しております。しかもプレゼンに向けての応援もしております。上司は上司なりに評価しているのです。そこに至るまでのプロセスだって全く知らないわけではないでしょうし、プレゼン資料の内容を見れば努力や苦労したことだって分かるはずです。

それでも、プレゼン資料を作った自分としては、認めて欲しいところ・評価してほしいところは、結果ではなくて頑張ってきた自分なのです。何なら、残業してプレゼン資料を苦心しながら作っている最中に上司から「いつも遅くまでお疲れさん」とか「こんだけの膨大な資料をよく集めたな」とか言ってくれたらば、上司や周囲も「頑張っている自分を見てくれているんだ」と安心できたのかもしれません。

しかし、残念ながら上司も含めて周囲の人たちも同じことを期待しているものです。誰もが自分を見てほしいですし、誰もが自分のことで精一杯です。言ってしまえば、他人の頑張りなんて見ている余裕なんてないのです。そのうえ、同じように「みんなに頑張っている自分を知ってほしいな」と思って大変アピールをしたり、自分の有能性を喧伝しようとわざとらしく知識や技術をひけらかしたりする人だっております。

 

頑張っているところを見てほしいという気持ちは分かります。このように書いている私だって承認欲求は当然ありますし、自分が知っていることやできることを評価してほしい気持ちはあります。しかし、アラフォーという年齢になって仕事で全体を把握する立場になると、周囲の人たちだって大変なことも知っております。ご家庭がある人だって大変ですし、他にも部下を取りまとめて頭を抱えている人だっております。ご近所トラブルにまきこまれたり、友達と喧嘩をしちゃった人だっております。それぞれの人生があり、それぞれが自分を認めて欲しいものです。それなのに、私だけが子供のように「頑張っていれば、それを周囲は見てくれるはず」なんて思うのはバカバカしい話です。

 

認められたい気持ちはあって問題ありません。むしろ自然なことです。しかし、あまりそれを他人に強制するものではないことは理解したほうが良いです。ときどき「お、最近頑張ってるじゃん」とか「この間の〇〇、君がやったんでしょ? ありがとう」とか言われたら「見てくれたんだ、うれしい」と思うくらいで終ればいいのです。物足りないかもしれませんしもっと賞賛されたいのは山々でしょうが、それくらいで満足したほうが人生は気楽に生きれると思います。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。