アラフォー童貞は〇〇と考える

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「怒られる」「注意される」のが嫌な気分になる理由

アラフォー童貞のODです。

 

多くの人は日常において、他人から怒られたり注意を受けることがあります。それは子供でも大人でもお年寄りでも関係ありません。子供のいたずらにガミガミと言うお父さんだって、会社では上司からガミガミと説教されています。その上司だってお客さんからのクレームにペコペコと頭を下げておりますし、そのクレームを出していた人だってご近所さんからゴミ出しの仕方が間違っていると不満を言われることだってあります。

 

年齢、性別、立場、場所、環境・・・これらは一切関係なく、誰もが「怒られる」「注意される」ということを絶対に経験するのです。

 

昨今では、学校でも会社でも教育の方針として怒るということをしない、という話を耳にしました。それは怒るということが教育においてメリットがなく、それどころか学ぶ意欲を阻害したり、修得スピードを落とすといったデメリットがあるということが分かっているからです。確かに、先生や先輩から怒られながら何かを教えてもらっても、怒られないようにしようという意識が強くなってしまい、今自分が何を学んでいるのか分からなくなります。結果として意味のない失敗を繰り返し、そのうえ失敗について怒られたり注意されてしまうので悪循環に陥ってしまいます。

そして、私たちは怒られたり注意されると、委縮したり悲しい気持ちになったりします。人によっては反発することもあるでしょうが、いずれにせよ嫌な気分になるのは間違いありません。

 

ところで、私たちはなぜ怒られたり注意されたりすると、嫌な気分になるのでしょうか? 「怒られたら嫌な気分になるのは当然だろう」「注意されて嬉しい人なんていないよ」と反論されてしまうかもしれませんが、それを明確に考えたことはあるでしょうか? ・・・おそらく、怒られた原因や注意してきた相手の人間性などを考えたことはあるでしょうが、その手前の嫌な気分の理由までは考えたことはないはずです。

 

というわけで、少し考えてみました。とはいえ、科学的根拠やら心理学的なんちゃらはなく、あくまで個人の考えであることをご了承ください。

 

怒られたり注意されたりすることで嫌な気分になる理由は、大きく分けて2つあると思います。それは「社会的立場の危機」と「自分の危機」です。

 

1つ目の「社会的立場の危機」は何も難しい話ではありません。いわゆる評価が落ちるとか嫌われるとかいうことです。しかし、社会と言う集団に属さないと生きていけない人間にとって、特に所属している集団から悪い評価を下されたり、人間関係として距離を置かれるようになったら、それは自分がおかれている環境内における自分の立場を脅かすことであり、引いては生命の危機となります。

・・・というと、何だか大袈裟な感じはしますね。それはそうです。現代という文明が発達している時代で、かつ他人の目を気にせず社会資源を活用すれば、評価が悪くても嫌われても単独でも何とか生けます。しかし、所属している集団の規模や相手の立場に関係なく、私たちが他人からの評価や嫌われていないかを気にしてしまうのは、それは原始時代から備わっている生命維持の仕様に他なりません。原始時代においては集団から悪い評価を下されたり、嫌われようものなら、食べ物ももらえず住処を追われて生きることが出来なくなるため、集団の中における社会的地位を何とか維持する必要があったのです。

その社会的地位を維持しようとする仕様があるため、怒られたり注意されたりすると、自分の評価が下がったとか嫌われたとか思ってしまい、それが潜在的に「このままでは生きていけなくなるのでは」という恐怖心となって、嫌な気持ちを湧き上がられせて「何とかせねば」と体が緊張してこわばってしまうのです。

 

2つ目の「自分の危機」も難しい話ではありません。誰もが自分が意図をもってやっていることや無意識でやっていることに対して、他人からダメ出しされたら嫌なものです。自分は良かれと思ってやっていること、自分はこれまでの人生で常識としてやってきたことを急に否定されたら、それはもう自己否定されたことと同様です。何なら自分の人生そのものが無駄であったかのような錯覚に陥るかもしれません。

このようなときに出る反応としては、「え、自分のやり方は間違っていたの? 間違っていないと思っていたのに・・・自分はダメな奴だ」という自己否定を重ねるのが1つです。あるいは「は? 自分がやってきたことが間違っていたなんて思いたくない。これまで自分はそうやって生きてきたんだ。無駄なんて思いたくない!」という反発も1つの反応もあるでしょう。

いずれにせよ、自分と言う存在を否定されたのですから、嫌な気分にならない人はいないはずです。ただ、それだけの話なのです。

 

つきつめると、怒られたとき、注意されたときに起こる嫌な気持ちの正体は、結局のところ「ただの反応」ということになります。それを私たちは理由もわからずに嫌な気持ちになっているのです。言い換えると、怒られたり注意されたこと、そして嫌な気分に対して重要視することはあまりないのです。

もちろん、怒られたこと、注意されたことに対して自分自身を鑑みて検討することは大切です。自分でも気づかった態度や考え方を改善したり、視野を広げるチャンスにもなります。しかし、嫌な気持ちという反応を何とかしようと落ち込んだり、相手にくってかかったりする必要はないのです。この点をご理解いただけたら幸いです。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。