アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

「量」で心は満たされない ~空白のないスケジュールをやめる~

アラフォー童貞のODです。

 

自分がやったこと、対応したことを記録することは大切です。

 

仕事においては社員一人ひとりが日誌を出したり、各支店から本社へ月単位で業務報告を提出することもあるでしょう。メンテナンスの専門業者ならば、お客さん先で作業をした後に作業報告書を書いて、日付と署名を書いてもらって複写をお客さん控えとして渡すといったことも当たり前に行われています。

学生だって学校という集団に所属していると、記録作業はたくさんあります。クラスの日直当番が日誌を書いて担任へ提出しますし、普段は施錠されている教室に入るために鍵を借りるときにも日付と名前を書きますし、部活だって個人のスコアや試合の経過を記録することで今後の成果に活かします。

このように、社会的にも記録というのは「やったことの証拠」であり、「今後に活かす」という大きな意義をもっております。過去を振り返らないという人もいるでしょうが、それはそれとして使いどころによってはメリットはいくらでもあります。しかし、あえてデメリットを述べるとしたら「量があっても意味はない」ということがあります。

 

ビッグデータの活用が叫ばれている世の中ですが、データ収集の目的が不明確なまま情報を集めるということは少なくないようです。統計を専門としている企業であっても、顧客が望んでいる目的を見誤ったまま情報を集めて分析した結果、「データは豊富だけれども使えない」ということも珍しくないのです。

 

なぜ、このような状態になってしまうのかというと、私たちは物事に対して「量が多ければ良いこと」という認識を持っているからです。

 

よく「量より質」とは言いますが、特に欲望を満たすものにおいては質はもちろんのこと、量だって求めてしまうのが人間の性です。食べた物が美味しかったらおかわりしたくなりますし、笑える動画を見たら関連動画を見たくなります。タバコやお酒なんて体に有害と分かっているのに手を出す人は多くいます。性欲だって1回発散して満足できないから風俗やポルノが存在するのです。

これらは人間の欲に作用するものなので、お腹に脂肪がついたり夜更かしをしたり健康に影響しつつも「わかっちゃいるけど、やめられない」という話として、誰かしらには共感を得られると思います。

 

しかし、「量が多ければ良いこと」という話において、一見すると良いことだと思われても、場合によってメンタルに悪影響を及ぼす可能性があることがあります。それは「スケジュールの詰め込み過ぎ」と「タスク達成への依存」です。

 

1つめの「スケジュールの詰め込み過ぎ」は、最近でこそ徐々に認識は変わってきているようですが、未だに「忙しいことが良いこと」という風潮はあります。自分が大好きなことだったり、やればやるほど自他ともに充実感や見返りが得らえるならば良いことです。しかし、むやみに予定がたくさん入っていれば良いと思うのは危険です。

予定とは目的があってそのプロセスの1つです。予定がたくさんあることに満足・安心してしまうのは、上記でお伝えしました目的が不明確なままデータ収集をするのと同じ話になってしまいます。当人は予定はたくさんあったけれど、何をしたか分からないまま疲れて1日を終えるだけになります。周囲も「あの人はいつも忙しそうだけれど、楽しそうじゃないね」と見られてしまいます。

 

2つめの「タスク達成への依存」は、私自身が気がつくと陥っている状態です。これはどういうことかと言いますと、上記まではいかずとも、私も仕事においては目的や意義を定めて予定を立てていきますが、これはタスク忘れや漏れ防止とともに、全体の流れに支障がないためです。

また、自分がやったことを後で振り返るためでもあります。これはかなり有効であり、「あの件、いつ対応したっけ?」となったときにスケジュールに対応済みとして記録しておくと、自分も周囲もすぐに「ああ、あのときだ。そうそう、具体的にこういうことをしたな」と思い出すことができます。人間の脳は膨大な情報を蓄積することはできますが、一方でその蓄積した情報を取り出すときに取っ掛かりやきっかけを必要とすることがあります。そのため、振り返りとして記録を残すことは大切なのです。

しかし、このように自分がやったことを記録にしていくのは、有効でもありつつも気がつくと「自分はこんなにタスクを達成したんだ」「たくさんのタスクをこなした自分」と気分が良くなります。この状態に陥ることの厄介なことは、自分はたくさんのタスクを達成ことを周囲は(当然ですが)理解できないのに、「こんなに頑張っている自分をもっと評価してほしい」と思いが湧くことです。そして、気づいてもらうためにもっとたくさんのスケジュールを詰め込んで、それを達成しようとする、という悪循環に陥るのです。

また、やり終わったタスクをたくさん記録することが目的となってしまい、スケジュールを詰め込むように、タスク達成の記録がびっしりと残っていないと気が済まない・落ち着かない状態になります。タスク達成の記録こそが自分の存在価値とでも言わんようになり、スケジュールとともに記録がない空白の時間帯があると落ち着かないどころか自己否定になりかねなくなるのです。一方、そんなにたくさんのスケジュールと達成記録を残しても、割と後から確認しないことのほうが多い、と言うのも事実です。

 

さて、長くなりましたが、スケジュールを詰め込み過ぎたり、そのタスク達成に対して執着・依存しているならば、そのような生き方は疲れるだけだと理解しましょう。それはこのように書いている私自身への戒めでもあります。

 

人間は決して「量」だけでは心は満たされません。一時的には満たされても、すぐに言い知れぬ渇きに襲われて、「もっと、もっと」と欲するようになってしまいます。食欲はお腹がいっぱいになれば解消されますが、達成感や充実感というのはやってもやっても満たされないものです。そのため、やみくもに「量」だけを求めても憔悴してしまうのです。そんな人生で良いのでしょうか?

 

この対策としては、「予定を立てない」と「やったことを記録しない」という日を設けてみる、ということです。特にプライベートで特に忘れても思い出せなくても支障のないことであれば、意図的にスケジュール表(アプリ)から手を放すことがあっても良いのです。

 

いいじゃないですか、たまには「うーん、今日は色々やったと思うけど、思い出せない」という日があっても。普段は脳をフル回転して、かつそれをロジカルにスケジュールを立てて、何かしらの目的のためにタスクを遂行しているのですから、たまにそういったことから外れるということも必要です。「空白のないスケジュール」は自分を肯定してくれそうですが、少し疲れたならば、もしかしたら空白のないスケジュールを見て「またこれらを達成しなくてはいけないのか・・・」とげんなりしているのかもしれません。それならば、逆のことをしてみるという発想も大事では、というお話でした。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。