アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

自分が創り出した「他人」に振り回されない

アラフォー童貞のODです。

 

他人の目が気になる。

他人の動きが気になる。

他人が言っていることが気になる。

 

・・・このように、私たちは「他人から見た自分」と「自分が見る他人」を気にします。本ブログでも幾度もお伝えしておりますが、他人を気にするというのは自然なことです。人間は社会という集団において相互協力して生きている存在であるため、他人から疎外されて孤立してしまうと、生きていけないというリスクを感じるのです。しかし、それはあくまで原始時代の話。ほとんどの人間が最低限の衣食住を何とか確保できておりますし、生活レベルが最低とか言いつつもスマホを一人1台は所有しております。お金がないと言っても、ワンコイン以下で空腹を満たすこともできます。それでも生活に困窮している人には、よほど特殊でない限りは何とか生き延びられる社会制度もあります。(特に日本という国においては)

 

少し話が脱線しましたが、極端なことを言いますと、現代においては集団や相互協力というものを意識する必要はあまりなく、個人でも何とか生きていけるという話です。つまり、そこまで他人の目というものに怯える必要もなければ、他人の動向を見て自分の行動や考えを合わせようとする必要もそこまでないのです。

しかし、私たちは他人が気になってしまうのです。恋している異性でなくても、目に映る人たち、身近にいる人たち、関わる頻度の程度に限らず他人のことが気になるのです。

 

さて、「他人」って何でしょう? 

まあ、自分以外の人間だろうと言ってしまえばそれまでですが、果たしてそうでしょうか? 私たちが気にしている「他人」と実際の「他人」とはイコールでしょうか?

 

例えば、自分は同僚のAさんはネガティブな発言をしており、もしかしたら自分のいないところで自分の悪口を言っているのでは・・・と気になったとします。これが自分がAさんに抱いている「他人」となります。

しかし、実際のAさんはどうなのでしょう。自分はネガティブな発言が多いと思っておりますが、当人は特にそう思っていないかもしれません。もしかしたら、ちょっとウィットに富んだジョークを言って周囲を笑わせたいと思っているのかもしれません。それを確認する手段は本人に聞くしかありませんが、実際に本人から「うん、みんなが楽しんでくれればいいと思っている」と聞けたならば、それはAさんの実像と言う意味での「他人」となります。

 

これは自分が思っている「他人」と実際の本人が違う、もっと他人のことを知ろうという話とは少し異なります。本記事で言わんとしていることは、自分が思っている「他人」というのは、もしかしたら「自分の頭の中で創り出している他人」かもしれない、ということです。すなわち妄想です。フィクションの存在です。

 

実際、私たちは「他人」のことを決めつけてかかります。そして、実際と異なることを知ったときに「なーんだ」と力が抜けてしまうこともあります。さらに、関わる回数が増えて相手のことを知ると、そこでもまた勝手に「他人」を創り出すこともします。例えば、上記のAさんに対してネガティブ発言をする人だと思って、自分の頭の中で「自分がいないところで自分の悪口を言う可能性がある人」と創り出していたのに、しばらくしたらAさんの人柄が分かって来て、今度は「自分を楽しませてくれる人」という人物像を創り出してしまうこともあるのです。どんどん、自分の中でのAさんという「他人」が変わっていくのです。実際のAさんという「他人」のあり方は違うというのに・・・。

 

このように私たちは、他人の目を気にしているものの、その他人を自分の頭の中で創り出した「他人」という前提で考えて、自分のことをどう思っているとか、自分のやっていることを見て変だと思っていないかとか、妄想から妄想を生み出しているのです。もはや現実を生きておらず、自分の脳内で生きているといっても過言ではありません。

 

とはいえ、このように書いております私だって、勝手に他人の表面を見ては、自分の中で「他人」を創り出して、脳内コミュニティにその「他人」を住まわせて、勝手にその「他人」に自分を評価させて、「あの人は自分のことを●●と思っているはずだ」と決めつけているのです。その相手は何とも思っていなくてもです。不毛な話と自分でも思ってはおりますが、一度自分の中で「他人」を創り出してしまうと、あとはその「他人」が消えるまで、現実の相手と自分の中の「他人」を混同したまま日常を送る羽目になり、結果的に現実で「あれ、自分が思っていた人と違うんだな」と気づいて、どっと疲れてしまうのです。・・・そして、また違う人や同じ人相手に「他人」を創り出しては、その人たちの目を気にして妄想にふけり、疲れてしまうのです。

 

もしも、他人の目を気にして疲れていたり、自分のやっていることが他人にどう見られているのかが心配になってしまうならば、その人は自分が創り出した「他人」では・・・? と思ってみて下さい。案外、自分が創り出した妄想と気づいてバカバカしくなるかもしれません。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。