アラフォー童貞は〇〇と考える

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「他人と話が通じない」という問題は解決しない、いつの世も

アラフォー童貞のODです。

 

昨日の記事では、会話において「話が通じない」という状況にある場合、それは伝える側に問題があるのか? それとも聞き手の理解力の問題か? を考えてみました。

結論としては、伝え方の問題でもあるし、聞き手の理解力の問題でもありますが、それよりも伝える側も聞く側も「お互いに歩み寄らない」がために話が通じないという状況に陥ってしまう、とお伝えしました。そのため、お互いに「伝え方が悪い」だの「聞く側の頭が悪いから」などとなってしまうのです。

また、昨日の記事では現代において、数多の会話術やコミュニケーション方法が溢れているのに、それでも簡単に話が通じなることもお伝えしました。しかも、単純に話が通じないというだけなのに、それが仲違いを引き起こしたり、規模によっては紛争と言っても差し支えないほどのトラブルに発展することもあるのです。

 

つまり、人間は会話術やコミュニケーション方法を学んだところで、そう易々と話が通じ合える関係を構築するなんてことは難しいということなのです。もっと大きな話をすると、世界のあちこちでいがみ合いが生じているは至極当然の話、とも言えます。世界各国の問題の1つである「なぜ戦争がなくならないのか?」という疑問に対しては、「そもそも人間は、簡単に話が通じ合えないから」という回答が一番しっくりくるというものです。

 

誤解なきようにお伝えしますと、簡単に話が通じ合えないのであって、全く話が通じ合えないと言っているのではありません。単純に相互理解というものには時間と労力がかかる、と言いたいのです。それは、文明が発達し、世界中の情報が結び付くことができ、誰とても意見交換が可能となっている現代であっても、まだまだ人間同士がお互いを理解し合えるには至っていないという事実からもご理解いただけると思います。しかも、インターネットというツールを使わなくたって、海外に行き来することも可能であるため物理的に面と向かって話すことだって、昔に比べれば簡単にできます。それでも、私たちはまだまだ話が通じないのです。

これは逆に言えば、通信手段もなく、手紙のやりとりも困難で、限られた人しか会えない人がいるといった時代においては、もっともっと話が通じなかったことと思います。だからこそ礼節などの他者の気持ちを慮るといった文化も生まれたのでしょうが、それでも武器や兵器をもって意見を弾圧することが政治の一つであった時代があった原因は、やはり話が通じ合わなかったからでしょう。

 

このように考えると、通信手段も豊富で、意思疎通は誰とでも可能である現代においても多くの人たちが話が通じていないというならば、やはり人間は話が通じない生き物であり、いつの世もどの時代においても、その問題は解決できないと言っても過言ではありません。可能性はゼロではないとはいえ、もしも人間同士が分かり合い、口論や仲違い、暴力をともなう争いもなくなるというのが理想なのであれば、おそらくそれは、ずっとずっと先の未来の話だと思います。いや、正直言ってそんな未来すらないのかもしれません。

 

・・・と、何だか絶望的なことばかり書いておりますが、不愉快に思ったのならば失礼しました。それは、話が通じないことが必ずしも不幸な結果ばかりを生むとは限らない、ということにも着目してほしいのです。

上記でもお伝えしましたが、話が通じないからこそ生まれたものもあります。特に日本においては他者の気持ちに配慮して礼儀作法が生まれ、それは「禅」といった諸外国からも注目されている考え方やあり方につながっております。

また、話が通じないということにより確かに言い争いや口論も生まれますが、そこで自分の意見だけに執着せず、相手の視点や考え方を受容することによって、新しい視点に気づけたり、自分の考え×相手の視点という掛け算によって、新しい扉が開かれることだってあります。むしろ、現代で当たり前になっている知識や技術は、極論を言えば専門家や研究者などの熱い言い争いから発展しているものばかりです。お互いに気を遣い過ぎて前に進まないよりも、小さな火種から言い争いをすることで前進することだってあるのです。そのきっかけは「話が通じない」ということであると考えると、あながち悪いものではないでしょうか?

 

つまり、いつの世も話が通じないということはあれど、それは実は解決すべき問題ではないのかもしれない、ということです。確かに相互理解の世界は素晴らしいかもしれませんが、考え方によっては文明の停滞を招く可能性もあります。そのように考えてみると、私たちが本当に見るべきは「どうすれば話が通じないことを解消するか」ではなく、「話が通じないことから、何か気づきはあるのか? 発展できるのではないか?」ということなのかもしれません。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。