アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

「気を遣う」ことに疲れたら・・・

アラフォー童貞のODです。

 

私たち人間は、社会と集団の中でお互いを支え合いながら生きております。その中で大切なのは人間関係であり、その人間関係に苦しむのもまた人間です。

 

人間関係に苦しむことの原因の1つとして「気を遣う」ということがあります。

 

「気を遣う」は、「配慮する」「心配する」「相手の気持ちを慮(おもんばか)る」といった色々な言い回しがあります。

これらの言い方が変わるのは、対象となる相手(他人)との関係性や立場、状況などにより様々あるからです。上司などの目上の人、同僚などの同じ立場の人、後輩などの目下の人、よく話す人、あまり話さない人・・・私たちは生きていると色々な関係性の人たちに気を遣うことになります。気の遣い方は異なれど、いずれも自分自身の時間と心身を消費するという点においては共通しております。

そして、いずれにせよ人間関係において「気を遣う」ということは、気づかぬうちにやっているものです。職場の上司なんて、機嫌を損ねないように言葉を選びます。同僚が困っているとき、一応心配したふりをすることもあります。立場が下の後輩相手にだって、どう接していいか分からなず空回りすることもあります。それだけでなく、職場以外でも家庭でも、何ならスーパーで買い物中でも他人の言動を気にしてしまいます。

 

このように、私たちは知らず知らず、誰かれ構わずに”何となく”「気を遣う」ということをしてしまっております。そうしているうちに、知らず知らずに「気を遣う」ことに疲れてしまうのです。

このような状態に陥ると、まずはイライラしやすくなります。他人の1つ1つの言動や自分への声掛けなどに怒りを感じてしまいます。いつもならば、ある程度気を遣っているので言葉や態度に注意しますが、「気を遣う」ことに疲れてしまっているときはそうはいきません。知らず知らずに仏頂面になってしまったり、低めのトーンで小声で反応したり、相手は冗談のつもりで言ったことを真に受けて口論になったりすることも・・・。つまり、「気を遣う」ことに疲れてしまった結果、人の気持ちを理解できなくなってしまうのです。

そして、「気を遣う」ことに疲れてしまい、人の気持ちが理解できなくなると、余計に相手の言動や態度が気になってしまい、相手も何だかイライラいているように見えたり、何だか刺々しい言葉をとってくるようにも見えてしまいます。そうして、イライラが募っているのも相まって、ここでも口論などのトラブルを引き起こす恐れも高まってしまうのです。

 

このようなことを書くと、「では、気を遣わないほうがいいの?」とか「気を遣うことに疲れる前に対策をとればいいの?」という質問をされるかもしれません。それに対しては、前者に対しては「そうではない」という返答であり、後者に対しては「それは大切である」という返答になります。

そもそも、冒頭でお伝えしましたように、私たちは生きていくために人間関係が大切です。そこには「気を遣う」ということは避けて通ることはできません。自然にやってしまうことでも、意図的にやっていることでも「気を遣う」ということは、生きていくための術と言っても過言ではありません。一方、気を遣い過ぎて疲れてしまうことは、予防できるならば予防したほうが良いです。それも人間関係を良好にするための手段であり、余計なトラブルを避けることができるならば、それに越したことはありません。

 

しかし、個人的には「気を遣うことに疲れる」ということは必要だと思っております。何なら、時々はあっても良いと思うのです。特に他人に気を遣ってばかりの人、気遣いで疲れてしまう人は、他人との軋轢を避けたり、なるべく物事を温和に済ませたいタイプなので、余計に疲労度が高いと思われます。そして、そのようなタイプの人は自分が疲れていることを察知しにくいため、ある日突然、人間関係に大きなトラブルを引き起こしたり、心身に大きな不調をきたしてしまうのです。

 

そのため、「あー、他人に気を遣うのが疲れた」と思ったならば、それは自分が「気を遣う」ということに疲れている状態というアラート、と思ったほうが良いのです。そして、自分が周囲に対して仏頂面をしていたり、棘のある言葉をついている可能性があると思うのです。これは上記の予防とは異なり、自分に対して「ヤバい」と思ったほうが大きな気づきになります。

 

ここで大切なことは「他人に気を遣うことに疲れたなんて、思っちゃだめだ」とか「このくらいで疲れるなんて、自分はダメな奴だ」なんて思わなくても良いということです。むしろ、「気を遣うことは疲れること」くらいに思ったほうがよいですし、そのようなことは人間にとって当たり前とも思ったほうが良いのです。

なぜならば、それは自分が気を遣っている相手(他人)だってまた、周囲に気を遣うことに疲れることがあるからです。身近な人を見て「あの人はいつも好き勝手言っているから、きっと他人に気を遣うことに疲れるなんてないだろう」「あの人はいつも元気だから、気疲れなんてしらないだろうな」なんて思うのは大間違いです。そのような人たちだって、気を遣うことに疲れることがあるのです。

そして、それは自分が恋焦がれている異性や憧れの人あって当然あります。大好きな芸能人だって人間なのであるでしょう。単純に周囲に見せなかったり、こちらが知らない場所でイライラしたり、棘のある言葉を使っているだけの話です。

そもそも、それは気を遣うという話だけでなくとも、コンディションが悪ければ、誰だって態度が変わるのは当たり前のことです。それに対して「いつも笑顔が素敵で憧れているのに、さっきの態度がそっけなかった!」と思うのは失礼と言うものです。こっちだって絶対に同じことをしているはずです。

 

少し脱線しましたが、まとめます。

「気を遣う」ということは人間にとって当たり前のことです。そして、それを知らず知らずにやってしまうため、疲労が蓄積しまい、ある日「ああ、気を遣うことに疲れた」から「他人のことが理解できない」となってしまうこともあり得る話なのです。それは、自分一人の話ではなく誰にだって起こり得るのです。だからこそ、気を遣うことに疲れて、周囲の人たちに理解を示せなくなっても、自分にダメ出ししたり、自暴自棄になったり、周囲に原因を求めるといったこともする必要はないのです。

 

「ああ、気を遣ることに疲れた・・・まあ、こういうときもある。大丈夫、大丈夫」と思って、そんな自分の心身を休ませることに努めれば良いのです。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。