アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

愚痴や悪口を言葉にする前に・・・

アラフォー童貞のODです。

 

愚痴や他人の悪口は可能な限り言わないほうが良いです。言ったところで何も解決しませんし、それを耳にした周囲の人たちに不快感を与えたり、トラブルの温床になる可能性もあります。実際、飲み会で同僚へのちょっとした不満を言ったがばかりに、後日その当事者である同僚の耳に入り関係が悪くなったという話も珍しくはありません。

愚痴を言った本人は何気なく・悪気ないものですが、それが間接的になればなるほど歪んだ情報が伝わるものです。もはや元情報(愚痴)の原型を留めないほどに拡散されてしまうことだってあります。特に現代においては言った言わないだけの話だけでなく、そのやりとりがデータという形になって、かつ違った解釈まで付け加えられてしまうから厄介なもの。

 

このように、愚痴や他人の悪口といったものは、口から出した途端に自分ではコントロールできない怪物になってしまうため、この手のネガティブな言葉はゴクリと飲み込んでしまうのが吉なのです・・・と、記事を終わりたいところですが、そう簡単に割り切れないのが人間です。

 

ムカつくときは、ムカつくって言いたいでしょう。

理不尽なことは、理不尽だって言いたいでしょう。

相手が悪いのに、「なんで自分が妥協しなきゃいけない!」って言いたいでしょう。

たまには「自分だって大変なんだ!」とキレたいこともあるでしょう。

たまには「自分の頑張りを認めて欲しい!!」と承認して欲しいこともあるでしょう。

 

・・・まず、これらはネガティブな感情と言えますが、思うだけならば別に問題ありません。とあるお坊さんだって「こいつ、ぶん殴ってやりたい」と思うこともあると仰ってました(もちろん、殴りませんが)。世界的に有名な聖人と呼ばれている人たちだって多くの理不尽さを許せなくって、それを変えたくて奮闘しているのです。人によっては世界レベルの理不尽さに抗って変革を起こした人もおります。

 

では、このような同じ感情から出発しているのに、世界的に大きな影響をもたらした人たちと、愚痴や悪口として言葉にしたことでトラブルという結果に至った人とでは、一体何が違うのでしょう?

 

それは「感情の変換」であり、そのアウトプット方法にあります。自身の感情を愚痴や悪口という言葉にしている人は、自分の感情を何にも変換せずに、あくまで「自分はこう思う」という主観で物事を語っています。「わかるわかる」と言ってくれる人もいるかもしれませんが、実質的には愚痴や悪口を言った当人だけの話なので、何にも良い変革を起こすことも、その要因にも何にもなりません。起こるのはトラブルだけです。

 

一方、世界的に大きな影響として変革をもたらしている人たちは、自身の感情を「課題」として変換し、多くの人たちを救うべく解決すべき問題としてアウトプットしております。だからこそ時間はかかるけれど賛同者も生まれ、最初は小さな火だけれども、いつしか理不尽や苦難を焼き払う大きな炎となるのです。

 

つまり、感情は使いどころによってはモチべーションになるのです。それらは愚痴でも悪口でもなく、それぞれの「課題」として昇華し、長い道のりをかけて徐々に賛同を得た結果なのです。

 

もしも自分の中に湧き上がる感情があったとして、それがただの愚痴や悪口であるならば唾液と一緒に飲み込みましょう。しかし、多くの人たちの苦しみや悩みを解決するような、立ち向かう価値のある理不尽さや不条理であるならば、勇気を持って挑んでみても良いと思います。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。