アラフォー童貞は〇〇と考える

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リメイク作品を「改悪」と思ってしまう理由

アラフォー童貞のODです。

 

ここ数年で、アニメや漫画、特撮も含めた映画、ドラマといった過去にヒットした作品のリメイクや続編などをよく見かけるようになりました。このような現象については色々と思うことはあるものの、私個人がどう思ったところで何ともしようがないので、それらの作品がヒットしようが静かに終わろうがどっちでも良いと自己完結しております。

しかし、世の中ににはそうは思わない人たちも多くおり、特にSNSなどで個人の意見を気軽に世界へ発信できる現代においては「過去の作品を汚すな」とか「下手にリメイクしないほうが良かった」とか「あれで終わったから名作なのに、続編などやるのは蛇足である」と言った意見も当然あるようです。・・・と、他人事のように書いておりますが、冒頭で書いた通り、やはり私も過去に大好きだった作品がリメイクや続編となったというニュースを見聞きすると、このような思いを抱いてしまうのが本音です。そのうえで、途中から「リメイクしようが続編が出ようが、まあいいか」とどうでも良くなるだけの話です。

 

個人がリメイクや続編に対してどうこう思うのは勝手であるし、個人的な意見を発信するのだって自由です。しかし、実際にはいくら過去に大ファンであって、もしかしたらその作品のグッズなどに多額の出費をしたとして、現代とは無関係な話です。いざリメイクや続編が出た作品が世間で良い評価をされているならば、別にそれだけの話です。

 

さて、なぜリメイクや続編に対して、不快感を抱くことがあるのでしょうか?

 

おそらくですが、「懐かしいものは美化される」ということと「繰り返し見たものを変えられるのは不快」という話が大きいと思います。

 

まず前者ですが、これは反対に考えてみると分かると思います。昔は感動したり面白いと思っていたものを、何かきっかけで久しぶりに目にしたとき、「あれ? こんなものだっけ?」と落胆したことはないでしょうか? これは価値観が変わったということもあるでしょうが、いわゆる現在と比較しての「昔は良かった」の印象が強すぎるのだと思います。変な言い回しになりますが、昔や過去に対しての期待度が大きすぎるのです。これはリメイクや続編に対しても同様であり、昔のほうが良かったという印象が強すぎるあまり、現在作られた作品に対してレベルが低いと感じてしまうのです。

 

また、私たち人間は日常や環境に変化を望みながらも、その一方で「変わってほしくない」という願望も抱いている生き物です。例えば、職場にいるキレイな女性を見て「あんないい女と付き合いたいなー」と思っているところで、いざ話す機会ができたところで委縮してしまうことがあります。「自分にはもっと相応しい仕事内容があるはず」と思っているところに、昇進や新規プロジェクトのオファーがあっても「いえ、自分の実力と合わないので・・・」とチャンスを逃すこともあります。これらはすべて、変化よりも現状維持を優先しているに他なりません。

これもリメイクや続編への嫌悪感も同類で、昔自分が大好きだった作品のまま、自分が見たままの作品のままであって欲しいのです。つまり、リメイクや続編ではなく、再放送とかDVDなどの映像媒体で全く同じように見たいのです。面白いとか技術が進歩したとか、別な解釈とか入れて欲しくないのです。下手に変えてほしくないのです。

 

このように、リメイクや続編に対して不快感を抱いた結果、「改悪」という言葉に置き換えられて、ネット上に罵詈雑言をまくし立てる様になるのです。その理由は、大好きだった作品において「昔は良かった」という美化と、「変化してほしくない」という現状維持とが、ぐちゃぐちゃに混ざり合って批判をしてしまうのです。

 

しかしどうでしょう? このように考えてみると、リメイクや続編を嫌がったところで、ネット上で「改悪だ」だのと批判したところで、それは第三者には伝わりませんし、制作している人たちにも届かないでしょう。だってそれは、個人の感覚という話で終わってしまうのですから。

それに、結局は時代が求めているならば、人気が出てしまったのならば受け入れるしかありません。それが納得できないならば、リメイクや続編を見ないか、もはや別物・別作品と思うしかないのです。それだって、個人で気持ちに整理をつけるしかないだけの話です。

 

これは人間関係にも言えます。かつて親友と呼び合う仲だった友人と久しぶりに会って、話や価値観が合わないことだってあります。そのときには「ああ、こいつは変わったんだ」とも思っても良いですし、「ああ、自分が変わったんだな」と思うのも1つです。そこには単純にかつて親友だった2人が、今は反りが合わないというだけの話です。変わった価値観をお互いに楽しめればそれも素敵ですが、無理に合わせなくてもいいですし、無理に遊びに行ったり語り合ったりする必要もありません。それに、その時点で自分が合わないと思っているだけであって、時間が経ったときに「こういう視点もアリじゃん」「こいつの考えもいいじゃん」と思えたならば、関われば良いだけの話です。

 

自分が好きだったものが変わったとき、手が加わったと感じたときに不快感を抱くのは理解できます。しかし、そこで「改悪」と批判しても意味はありません。それよりも、不快と感じたものから離れるか、時間が経って受けれられるかを試す、くらいしか個人でできることはないのだと割り切ったほうが良いのです。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。