アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

「他人の目」「世間体」を超えた行動の先にあるもの

アラフォー童貞のODです。

 

自分の考えを言いたいとき、やりたいことがあるときなどに障壁になるものがあります。それは「変に思われたら・・・」「間違っていたら・・・」「失敗したら・・・」というものです。

 

例えば・・・

学校の授業で先生が黒板に書いている内容が間違っているとき、それを伝えることができるでしょうか? それとも先生が気づくまで黙っているでしょうか?

上司が客先で商品PRをしているとき、違う内容の仕様を伝えていると気づいたとき、お客様へ正しい情報を伝えるために思い切って訂正するでしょうか? それとも「上司に恥をかかせてはいけない・・・」と思って口をつぐんでいるでしょうか?

毎朝、同じ時間帯に道端ですれ違う登校中の小学生、散歩中の近所の人たち、ゴミ収集している業者さんなど・・・いつも顔を合わせている人たちに「おはようございます」だけでも挨拶をするでしょうか? それともなるべく顔を合わせずに通り過ぎるでしょうか?

赤ちゃんを抱えている女性が、駅の階段で乳母車を持ちあげようと息を切らしているのを見たとき、「お手伝いしましょうか?」と声をかけるでしょうか? それとも「誰も声をかけないし、余計なことを言わないほうがいいかも」と素通りするでしょうか?

 

・・・おそらく、それぞれに対して前者の積極的なアクションを望ましいと思う人が大半だと思います。しかし、そう思う人たちの多くが後者の消極的なスルーを選択するのです。いや、積極的なスルーと言っても良いかもしれません。

 

これは海外の人たちからすると、当然のように前者の行動をとるそうです。「あれ? それっておかしくね?」と思ったら口にしますし、近所の人たちを見かけたら挨拶しますし、エレベータで知人でなくても「ハロー」と言うこともあるのだとか。また、妊婦さんや高齢者に対しても困っていたら手を差し出すし、チャリティー活動へも自然に参加するため、特に日本人がいわゆる「見て見ぬふり」というスルーするのを疑問にも思うのだそうです。

 

もちろん、全ての海外の人たちや特定の国の人だからと言って、間違いの指摘や挨拶、人助けを必ずするとは限りませんが、他国に比べて日本人は過剰なまでに「他人の目」や「世間体」と言うもんを気にする傾向にあります。それが、冒頭のように「変に思われたらどうしよう・・・」「間違っていたら・・・」という発想が障害となって、自身の思考や行動に制限をかけてしまうのです。

ちなみに「失敗したら・・・」を気にするのは個人的な話と思われるかもしれませんが、そのうちの何割かは失敗をすることで、他人からバッシングや低評価を受けることを恐れてのことも含まれます。これもまた「他人の目」「世間体」の1つと言えます。

 

では、このような「他人の目」「世間体」を気にする日本人は駄目なのでしょうか? 間違いも指摘できない、挨拶もしない、困っている人たちも助けない・・・何だか冷徹な国民のようにも思います。しかし、そうではありません。むしろ、有事の際にも他国が驚くほどの礼節さと規律性を発揮することができる国民なのです。日常においては周囲の目を気にするけれど、「他人の目」や「世間体」を気にしなくなった途端に他人のために自らを惜しまずに行動することができるのです。

日常で悶々としている反動でいざと言う事態に奮起するのか、それとも日常で周囲の目を気にしているから有事の際でも規律性を重んじることができるのかは不明です。いずれにせよ、私たちの中には必ず自分の考えを伝える力、自分のやりたいと思ったことを行動に移す力がちゃんと備わっているのです。決して冷徹ではないのです。

 

日常において「他人の目」「世間体」を気にしてしまう理由や考察はありますが、長くなるので本記事では割愛するものとして、ひとまず日常において「あ。〇〇さん、間違っている・・・でも、恥をかかせるかも」「いつも見かける人だ・・・挨拶すればいいかなー」「妊婦さんに席を譲ろうかな。でも、断られたら気まずいし・・・」と迷うというならば、それは「他人の目」「世間体」を気にしつつも、ちゃんと他人を思いやる力があると思ってください。

 

そこでもしも行動したい、「他人の目」「世間の目」を超えて行動したいならば・・・

 

「間違いを指摘して、後で怒られてもいいか」

「間違いを指摘して怒るような人ならば、次からは言わないようにしよう」

「間違う可能性を事前につぶしておこう」

 

「挨拶して無視されても、実害はない」

「挨拶して通報されても、別に説明すればいいだけだ」

「むしろ、挨拶されて通報までされたら、雑談のネタになるか」

 

「妊婦さんに席を譲って断られているのを見て、馬鹿にする人はいないはず」

「立ったままでいようとする妊婦さんは、適度な運動をする目的があるのかも」

「まあ、立っているのがしんどそうなら、また声をかけてみよう」

 

・・・と、「駄目でもいいか」という理由をいくつか用意しておけばいいのです。それに安心して欲しいのは、上記のように「他人の目」「世間の目」を超えた先に失敗したとしても、それを見聞きした人の中には、その行いに賛同してくれ、ちゃんと評価してくれる人は絶対におります。そんなに世間は冷たくはありません。

 

それにきっと、そのような行動を見た人たちの中にも「そうか、自分は他人の目や世間体を気にして行動するか迷っていたけれど、実はそこまで大袈裟なことでもないのかも・・・」と思って、別な場面で思い切って行動するようになるかもしれません。そのような循環ができると、世の中は少しずつ良くなるのではないでしょうか。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。