アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

「最後までやり抜く」を美徳としない

アラフォー童貞のODです。

 

「他人と揉め事を起こしたい」「軋轢をもたらすのが好き」なんて思う人はいないと思います。物事は穏便に済ませ、自分は安全なポジションで過ごしたいと思うのが普通の考え方です。チャレンジ精神が旺盛な人や自分の叶えたい夢を追い求める人は、その過程で周囲と仲違いしたり衝突することもあるでしょうが、それらは感情は混じったとしても、適切な会話と相互理解によって新たな扉が開かれることもあります。平和的に生きて生きたいという気持ちも理解できますが、物事を前進させるためには揉め事や軋轢も時には必要な要素にもなることも、頭の片隅に置いていただければと思います。

 

では、揉め事や軋轢もなく、物事を穏便に済ませたい、なるべく安全に生きていきたいというのは駄目なのでしょうか? せっかく生まれたのだから、多少傷だらけになったとしても何かしらの成果を世の中に残す生き方のほうが意義があるのでしょうか?

・・・別にそんなことはありません。人間(というか生物)はなるべく変わらない環境で同じように、同じサイクルのもとで生きていたいものです。いくら子孫繁栄のために命を賭したとしても、その前に生命の安全が確保されていることは大切です。また、誰もが世の中に認知された成果を残すような生き方ばかりをしていたら、それこそ揉め事や軋轢などの争いは絶えなくなり、最終的には誰もいない世界になってしまいます。進化を加速するために多少の挑戦思考のある人たちは必要ですが、それを受けとるだけ・見守るだけという人たちもまた必要なのです。

つまり、世界は「ただ穏便に生きることを願っている人」「世界に革新をもたらそうとする人」が混在して成立しているので、どっちが良くてどっちが悪いという話ではないのです。「ただ生きているだけで良い」し、「好き勝手に生きてても良い」と言えます。

 

ちなみに、多くの人は上記のどちらかというわけではなく、どちらの要素も含んでおります。つまり「穏便に生きたい・・・でも、何か大きなこともしたい」「世界に名前を残したい・・・けれど楽もしたい」といった具合です。そうして、いざ何か始めてみるもののうまくいかなかったり、粘って粘っても成果が出なかったり、いわゆる才能を持った人を目の当たりにして実力の差を思い知ったりして、自分はその道で革新的なことは起こせない・・・と気づくことがあります。このような経験は幼少期から大人になってもあり、どんなに頑張ったとしても報われない努力もあることもある・・・と学習するのです。

このようなとき、私たちの頭をよぎるのは「諦める」という言葉です。さらに「もう少し頑張れば道は開けるかも」という期待も胸に抱くこともできます。特に大人は子供に対して「最後までやり抜く」ということを教えることがあります。そのような教育のせいか、私たちは途中でやめることは悪いことと思ったり、周囲から「せっかく続けてきたのにもったいない」などと言われて思いとどまることがあります。・・・しかし、あまり真に受けないで下さい。

 

別に、最後までやり抜くのが良いこととは限りません。

続けてきたことを、途中でやめてても良いのです。

居続けた環境や集団を、途中で抜けても良いのです。

他人の言う「せっかく」とか「もったいない」なんて、無責任な発言です。

 

最終的にどうするかを決めるのは、親でも先生でも上司でも友人でもありません。「せっかく」とか「もったいな」と思っていたとしても、選択してしまった道を進むのは結局は自分なのです。勝手に決めつけないでほしいです。

やり抜くつもりであった事象をやめたとしても、それは「やり抜けなかった」ではなく「別な道を選んだ」というだけの話です。やり抜くという選択もありですが、別な道を選んだというのもまた素敵な選択です。「せっかく」とか「もったいない」なんて言葉を使うのは無責任な人と思って良いので、気にしないで下さい。

 

本記事はあくまで、それなりの期間を継続的にやってきたけれど、今後について考えた時に「やめる」とか「別な道もある」といったことで悩んでいる方向けのお話です。そこまで積み上げたものがあるならば、どんな選択をしたとしても誰にも文句は言えないはずです。しかし、何でもかんでもすぐにやめるというのは、それこそ「もったいない」話でもあります。どれくらい続ければ良いかという基準はありませんが、「基礎的なことを覚えてから」くらいの目安はあってもよいかもしれません。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうござしれません。