アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

自分が持っている「偏見」との付き合い方

アラフォー童貞のODです。

 

先日、会話に関する本を読んでいたとき、『アンコンシャスバイアス』という言葉を知りました。これは「無意識の思い込み」「偏見」を意味します。

私たちは自分の経験、周囲からの教え、世間が言うところの常識などによって思考や生き方を学んでいきます。それは自然という環境の中で生き延びる術ではなく、社会という環境における人間たちとの関り合い方です。

しかし、当然ながら人間同士の関わり合い方は1つではなく多種多用です。共感や賛同を得られるものばかりではなく、むしろ反感や言い争いに至ることのほうが多いもの。そこにあるのは価値観と価値観、正義感と正義感、文化と文化などの個人個人や集団内の決まり事などのぶつかり合いです。これらは何も悪いことではなく、新しい視点を知るとともに、新しい選択肢や価値観を生み出す過程でもあります。それは相手の価値観の理解をすることでもあり、世界が進むためには必要なことと言えます。

 

とは言え、常に価値観をぶつけ合うというのも疲れるものです。新しい価値観を得るために他人の考えを受けれていては身が持ちませんし、自分の意見を練るためには独りの時間だって必要です。そのため、対人関係においては、ある種の「逃げる」という反応をせざるを得ないことだってあります。

例えば、納得しない意見を聞いたとき、別にそこまで深掘りしたり対立するような内容でなければ「そうだね、そういう考えもあるね」と終わらせることもあります。話が膠着したり平行線だったりすると、もういいかと思って「今回はそちらの考えで良いです」と妥協という選択をとることだってあります。

また、明らかに自分と異なる価値観の相手と関わらかければいけないとき、何度も同じミスを繰り返したり自己判断で物事を進めてしまう人に対しては、「ああ、この人はこういう人だと思うようにしよう」と匙を投げます。その人に対して一切の興味を失くすとともに、何か求めようとすることに労力を割こうと思わなくなります。そして次に類似のことをしでかしたとき、価値観が異なったときに「そうそう、この人はこういう人だから」と感情的になることも含めて省エネモードになるのです。これはある種の自己防衛とも言えます。

 

このように自分とは違う価値観を持っている人、多少でも自分が理解できない言動をとる人に対して「この人はこういう人なんだ」というモデルができますと、次に類似の人と出会ったときに「きっとこの人はこういうタイプだ」と潜在的に決めつけてしまいます。つまりは偏見です。まだしっかり関わってもいないのに、過去の経験などから偏見をもってコミュニケーションをとろうとします。それが良いのか悪いのかは本記事では割愛しますが、あまり良くないこととは理解できると思います。しかし、それでも多くの人が偏見をもって他人と関わってしまいます。前情報があれば余計に偏見は加速します。

 

しかし、仕方ないのです。私たちは初対面でも幾度か会った人であっても「この人はこういう人だろう」「この人はこういう人かな?」と大なり小なりの偏見という予測を立てておかないと疲れてしまうのです。しんどくなってしまうのです。極論ですが、偏見があるから対人関係を何とか乗り越えているとも言えます。偏見という自己防衛反応がないと対人関係だけで押しつぶされてしまいそうになります。自己防衛反応という言葉が大袈裟ならば、対人関係における「ショートカット」とか「省エネモード」とか「スキップ機能」とか言っても良いです。

 

このように、偏見とは人間の標準仕様なのかもしれません。とは言え、他人から自分のことを決めつけられたら不快であるため、あまり良くないこととも分かります。

大切なことは「自分は偏見をもってしまうもの」と自覚したうえで他人と関わる事です。そうして、いざ関わってみて「この人は思った人と違った」と気づいたら修正し、「思ったとおりの人だった」ならば、それ相応の関わりをするだけで良いのです。偏見はいけないことと思うより、ついやってしまうけれど修正可能なものと思えば付き合いやすくなるのではないでしょうか。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。