アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

「自分の世界を広げる」「色々なことに興味をもつ」にも限界はある

アラフォー童貞のODです。

 

「世界は広いぞ」と言われても、無理に遠くに行く必要はありません。「色々なことに興味をもて」とは言われても、何でもかんでも手を出す必要もありません。

 

かなり個人的かつ主観的な考えですが、「世界は広いぞ」とか「色々なことに興味をもて」といった手合いのことを若い人たちに伝える人は、その人生において広い世界を見ておらず、色々なことにチャレンジしたわけでもないと思っております。それは「世界は広いぞ」も「色々なことに興味をもて」も抽象的すぎるからです。

 

本当に世界を見たことがある人であれば、「〇〇という国はこうだった」「あそこの国は食事が肌に合わなかった」といったように具体的です。日常的に世界を股にかけている仕事もあるでしょうが、海外をあちこち行っている人であっても目的があれば一定期間は同じ国に滞在するため、言葉通りの意味で「世界は広い」を実感できている人はそこまでいないと思います。

色々なことに興味をもってチャレンジすることも同様です。楽しくて色々なことに手を出すのは良いのですが、1つのテーマやジャンルの本当の面白さを理解するためには、それなりに時間と労力を要します。始めのうちは理解できなくても、やっているうちに面白くなることだってありますし、反対に性に合わないと感じて中断することだってあります。

 

何が言いたいのかというと、広い世界を見ようと思っても、色々なことに興味をもとうとしても、現実的にそこまで多くのことはできないという話です。

私たちは誰しも1日24時間という制限時間がありますし、体力だって限られております。かつ多くの人が学生だったり社会人であり、それらが将来や生活のための活動がメインの時間となるため、それ以外で意図的に世界や興味のあることに目を向けようと思うには、かなりバイタリティを要します。そしてお金の問題だってあります。

 

このような現実的なことを言うと「夢がない」とか言われてしまうかもしれませんが、実際に世界をあちこち行っている人たち、色々なことに自らの手を動かしている人たちと会話をしてみると、言葉は違えど「もっと時間があれば」とか「もっと体力があれば」と言います。これは言い訳ではなく、「もっと多くのことを経験したい」という夢があるからこそ、現実と折り合わない悔しさから出る言葉だと思います。

そして、いくら多くのことをしたいと願っても、自分が一生のうちに生きられる世界やできることは限られているという現実を思い知るのだと思います。だからこそ、そのような人たちは今いる世界、つまり今いる場所や時間を大切にしているのだと思います。周囲に語り掛ける言葉のひとつひとつは抽象的ではなく具体的で、とても説得力をもつのです。

 

このように書くと、世界の広さや興味の幅を広げるようなことを伝える人たちを、まるで否定しているように思われるかもしれませんが、そうではありません。そのような人たちもまた、「色々やっておけばよかった」という悔いがあるからこそ、今の現実を思い知って、これから長い人生を歩む若い人たちに対して、視野を広げるようなアドバイスをしたくなるのです。

 

改めて。

「世界は広いぞ」と言われても、無理に遠くに行く必要はありません。「色々なことに興味をもて」とは言われても、何でもかんでも手を出す必要もありません。

 

しかし、それを言われたときに自分の中に具体的な「何か」があったり、やってみたいことがあるけれど委縮してしまっていることがあれば、それはやってみても良いと思います。

そのようなことがなくても、ちょっと見聞きした話や情報に具体性を抱いたならば、ちょっと知らべてみても良いと思います。そのときは別に「世界を知ろう」とか「興味の幅を広げるぞ!」なんて意気込まなくていいです。ちょっと「何だろな?」と検索エンジンにキーワードを入れて出た結果を見て、「へー」と思うだけで良いのです。別に何かの役に立つこともないでしょうが、何かのきっかけになる可能性もあります。もしかしたら、それが自分の世界を広くするための種になるかも・・・?

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。