アラフォー童貞は〇〇と考える

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集めた情報の何%を活用しているのか?

アラフォー童貞のODです。

 

人のふり見て我がふり直せと言いますが、他人のあり方を見て私自身が気を付けていることがあります。それは「情報の集めすぎ」です。この中には「自分に関係ない情報にも手を出す」も含まれます。

情報化社会において現代人はその恩恵を多大に受けておりますが、その反面、情報の取捨選択ができなくなっていることもあります。それどころか、「情報はあればあるほど良い」とか「人よりもたくさんの情報をもっていることに価値がある」という風潮もあります。

これは個人で情報発信もできるようになった土壌もあるのでしょうが、SNSなどでは他人に有益な情報を提供する意図よりも、「誰も知らないことを知っている自分」をアピールすることで他人よりも秀でている自分を確立したい様子も伺えます。(何だか嫌な言い方ですが、あながち間違ってはいないと思います)

とはいえ、情報というのは「受け取った側」も「発信した側」にもメリットがありますし、受け取り手が不要な情報は発展せず、発信した側も世間の反応が悪ければ活用しがいのない情報として処分するだけなので、実は情報そのものに大きなデメリットが生じることはないのかもしれません。(特定の個人や団体を中傷したり、グロ画像などの不特定多数を不快な思いにさせるものは別として)個人が発信した自己満足的な情報であっても、それ単体では大きな問題はないと言えます。

 

しかし、単体では問題はない情報であっても、目的はどうであれ、同類の内容であれ、ジャンルがバラバラであれ、有益であれ無益であれ、むやみに情報を黙って受け取ったまま放置するのは良くありません。いえ、情報は選別せずに黙って受け取ることは決して良くありません。必ず自分というパーソナリティに良くも悪くも影響してしまいます。例えば、口論している動画や他人を陥れている情報ばかり見ていると、感覚が麻痺して次第にそれが自分の中で普通となります。日常生活においてもちょっとしたことで他人に突っかかったり、気に入らない相手に対して嫌な思いをさせようという悪意が湧きやすくなります。食べ物と同じで、情報もまた受け取った内容により自分という存在をできあがっていくのです。

 

さて、冒頭の「情報の集めすぎ」についてお伝えしますと、その弊害は色々あります。その一つは「決断ができなくなる」ということです。例え有益な情報をたくさん集めたところで、それらの方向性がバラバラだったら、どれを選んで良いのか分からなくなります。仮に選べたとしても「やっぱりあっちのほうが良いかも・・・」と後ろ髪を引かれてしまいやすくなります。これは選択肢が少なくても起こりますが、情報という選択肢が多ければ多くなるほど、どんどん優柔不断になってしまいます。

 

また、情報の集めすぎは、人間関係においてつまらないマウントの取り合いを引き起こします。それは「自分はたくさんの情報を知っている」とか「あなたよりも色々なことを知っている」という、どうでもよいマウントです。何度も言いますが、本当につまらなくて、どうでもよいマウントの取り合いです。見ていて気持ちいいものではありませんし、ネット上で知ったような話を、さも最新情報とでも言わんように触れ回る情報通さんを見ていると「あー、痛い痛い」とムズムズしてしまいます。興味がないテーマだと、その場を去りたくなくこともあります。

 

では、どのような情報なら良いのか? となりますが、これは「情報を伝える相手による」としか言えませ。情報の受け取り手が日常において何に興味があり、何を有益と捉えるか、今どんな情報が必要としているか、などを知らない限りは無駄な情報の垂れ流しと同様です。つまり、情報を伝えるということは、かなりターゲットを絞らなければいけないということであり、そのターゲットがその情報を活用できるかという効果も考えてこそ、そのような情報を発信した側の真価が問われるといううものです。

 

ここで質問ですが、日常において知り得た情報はたくさんありますが、そんおうちの何%を活用しているでしょうか? ・・・おそらく、活用となるとほとんどないと思います。スーパーのチラシだって、あんなにたくさんの特価情報などが書かれていますが、下手をするとチラシを見ただけで終わりということも少なくありません。

また、ビジネスでも外交でも得られた情報が有効かどうかは、結局は情報を活用する立場の手腕や考え方次第です。情報戦などと言いますが、貴重な情報を(失礼ながら)頭の悪い人や人格に問題がある人が使ったところでゴミにしかなりません。

かなり偏見ですが、情報の扱いが悪い人ほど情報を集めたがる傾向にあるように思います。それはひとえに当人が自分に自信がないためと思われます。

 

大切なことは「自分がどのようにしたいのか」という軸であり、そのために何の情報が必要か、手元にきた情報をどう使うのかという話です。問題は「量」ではないのです。そのような「量」ばかりが情報だと思うような情報通は、簡単に情報が得られる現代では必要なありません。情報を「どう使うのか」が定まっている人がきっと世の中を駆け抜けていけるのだと思います。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。