アラフォー童貞は〇〇と考える

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「自分に好意がある相手を好きなる」は不誠実なのか?

アラフォー童貞のODです。

 

恋愛のカタチは様々と言うものの、世間では「こうであるべき」とか「えー、それってどうなの~?」といった意見を述べる人は少なくありません。まあ、このような反応はどの分野でもあるものですが、恋愛というジャンルは誰でも口出しがしやすいテーマであるため、余計に自論や一般論を言う人は多いのでしょう。

そして、その多くの人が考えている恋愛には共通点があります。それは恋となったスタートが明確になっていることです。例えば「飲み会で知り合って、話をしているうちに意気投合した」とか「最初はどうでも良かったけれど、頑張っている姿を見て意識するようになった」とか「話を聞いてもらっているうちに『一緒にいると落ち着く』と気づいた」といった感じです。

しかし、このような多くの人たちが考えがちな恋愛のスタートとは別に、結婚した人や付き合って長いカップルなどの話を聞くと、割と「何となく流れで」「いつの間にか」「そう言えば、付き合おうとも言ってない」という曖昧な回答もあります。まるで好きでやっていたスポーツや趣味が、いつの間にかプロフェッショナルに至っていたような感じです。そのため、きっかけやスタートはかなりぼんやりしているようです。

 

何が言いたいのかと言うと、恋愛というものはやはりカタチは様々であり、恋愛に至ったスタートやきっかけも明確でなくても良いのです。そもそも、男女の関係性を恋愛かそうでないかに分けることも、それこそ他人が決めるのも野暮というものです。

 

恋愛のスタートやきっかけを他人がどうこう言うものではない、という話に関連して、「自分に好意がある相手を好きになる」ということは不誠実なのかどうか? を考えたいと思います。急に何の話かと思われたでしょうが、お時間があれば以降もお目通し下さい。

「自分に好意がある相手を好きになる」という言葉だけ見ると、何だか別に当たり前で問題ないように思いますが、実際にそのような人が身近にいたときに「お前、単純だなー」とか「この間まで●●さんが良いって言ってたのに、自分のことが好きな人が現れたら考えを変えるのかよ」とか「恋愛は努力して振り向いてもらうだろう」などという自論を述べる人がおります。これは不誠実さや優柔不断に感じるため、それに対して苦言を呈するのでしょう。

 

しかし、個人的には「そんなの、どうだっていいだろう」と思うわけです。だって、別に自分が不誠実に思ったり優柔不断だと思ったところで、誰かが誰かを好きだという気持ちは変わりませんし、それを受けてその相手を意識するのも意識しないのも他人です。別に恋愛に対しての持論を述べたところで結局は他人事です。

しかも、好きな人がいて、そのことを当人が知って好きになってしまったならば、それはもはやWin-Winの関係でしょう。「もう付き合っちゃえばいいじゃん」ってなものです。それこそ他人が口を出すのは野暮ですし、迷惑でなければ付き合うことを後押ししても良いくらいです。誰も得しない恋愛持論よりも、少なくとも2人の男女が笑顔になれるよう応援するようが有益じゃないですか。

 

そもそも、「自分を好きという人を好きになる」は自然なことだと思います。反対に自分のことを嫌いと思っている、嫌いという態度をとっている人を好きになることのほうが稀です。そのようなマゾっ気タイプもいるでしょうが大抵は異なります。大抵の人は誰かが自分のことが好き、良い評価をもっている、好印象を抱いているなどと分かると嬉しくなります。直接会ったことがなくても、「良い人だ」と勝手に思うはずです。それが恋愛感情だったならば尚更です。よほど嫌な相手でなければ、意識してしまっても仕方がないと思います。そこから人間関係が発展しても不思議ではありません。

 

つまり、「自分に好意がある相手を好きになる」というのは、1つの人間関係のきっかけであり、それは誰が否定することでもないのです。それを否定することは人間関係のあり方や始まりを否定しているのと同じです。とやかく言うものではありませんし、後ろめたさを感じる必要もないのです。堂々として良いのです。

 

とはいえ、ちょっと優しくされたり、ちょっと関係する時間が長いだけで意識するのは考えものです。それは相手に好意があるからではなく、距離感が近い人か親切にするのが当たり前になっている人の可能性もあります。・・・いや、これも1つのきっかけかもしれませんね、否定せずに恋愛に昇華できるならばそれも良いのかもしれません。まあ、結果がどうなるかは別問題ですが。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。