アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

「好き」の対象が変わっても悪いことはない

アラフォー童貞のODです。

 

「好き」の対象は様々です。

対象が異性でも憧れの人といった人間でも、スポーツでもエンタメでも、自然でも人工物でも・・・何でもいいのです。

 

「好き」のあり方も様々です。

遠くから見つめているだけでいいと思っても、直接触れ合いたいと思っても、プレイするより観戦するのが好きでも、自分で作品を作ってみたくなっても、ただ眺めているだけでも、写真に収めて初めて満足できても・・・全く問題ありません。

 

私たちは一度「好き」となったら、その「好き」がずっと続くと思います。今以上の「好き」はこれから先に現れることはない、人生で初めてで最後の「好き」と思うわけです。・・・しかし、そうはいかないものです。

好きな人のちょっとした振る舞いをみて幻滅したり、あんなに好きだった趣味が急に興味がなくなったり、落ち着けると思った環境だったはずなのにソワソワするようになってしまう・・・なんてこともあります。

 

それは仕方がありません。「好き」の対象だって不変ではありません。人間であれば年齢を重ねて見た目も変わりますし、その人なりの見えない価値観もあればそれも変化します。スポーツはいつまでも最前線で活躍できる選手はおりませんし、競技のあり方だって微々たる変更を要します。エンタメだって売れるものばかり提供していたら受け取り手はすぐに飽きるので、創意工夫の結果としてヒットのトレンドが良くも悪くも自然に変わります。自然が大好きだったけれど、自然災害にさらされて怖くなってしまったなんて人もいるかもしれません。

 

このように「好き」が「好きじゃない」となることは当然あります。それは別に「嫌い」となったわけではなく、単純に「うーん、別に・・・」となっただけです。大した話ではありません。それどころか、また違う対象が「好き」になることも当然あります。面白いことに「嫌い」だったものが「好き」に転じることもあります。

例えば、会話するだけでもうっとうしいと思っていた相手だったのに、ちょっと趣味があった途端に「気が合うー」と連絡先を交換してしまうこともあります。仕事で立場が変わっみて初めて「昔上司だった●●さんの言っていたことが正しかったと分かった・・・会って話をしたいな」などと憎悪から尊敬に変わることもあります。馬鹿な話かと思われるかもしれませんが、特に興味なかった女性だったのに、ふとした瞬間にちょっと下着が見えそうになっただけで好感度が上がることもあります。(これは私だけかも・・・)

音楽なども昔は偏見があるジャンルだったのに、気がつけば作業用音楽として流している人もいるでしょう。スポーツだって「こんなの何が面白いんだ」と思っていたのに、少しやっているところで「キミ、筋がいいな」と褒めれたばかりに気を良くして、結果的に続けている人もいるはずです。自然が大好きだったのに、そこに交じる人工物にときめきを抱いて、「好き」の意味合いが変わった人もいるかもしれません。

 

長々となりましたが、「好き」というのは対象が変わっても良いのです。

また、「好き」のあり方だって変わっても良いのです。

 

私たちは一貫性をもたなければいけない、一貫性をもっていることが良いことと思われがちですが、別に変わっても問題ないのです。周囲から「お前、前は○〇が好きっていってたのに、変わったのかよ」と言われても気にしなくていいのです。おそらく、というか絶対にそのようなことを言った人もまた、「好き」の対象やあり方はどんどん変わって今に至っているはずです。そして、お互いに「好き」はこれからも変わっていくことも同様です。

 

確かに一貫性があるという人は魅力的に見えます。だからといって、変わってはいけないという話は誰もしてません。それを主張する人がいたとしたら、それは「好き」のあり方の押し付けです。誰が何を好きだとして、対象に迷惑をかけないのならば問題ないじゃないですか。それに、「好き」が変わることで何かの「好き」を終わらせることになる場合もあります。その場合だって、新しい道を切り開くための精算をしたと思えばいいのですし、かつて「好き」だった気持ちを失くす必要もないのです。

 

ひとまず、「好き」は個人で勝手に変わっても良いこと、変えても責めることもないものと思って下さい。今ある「好き」も、これまでの「好き」も思い出にしたり黒歴史にするのもまた自分自身なのですから・・・。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございいます。