アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

人の目は "それなりに" 気にしたほうがいい

アラフォー童貞のODです。

 

自己肯定感とかメンタルを守るといったテーマにおいて「人の目を気にしない」「他人のことは気にしない」といった考えを提唱することがあります。確かに人の目ばかり気にしてると疲れてしまいますし、自分のやりたいことも満足にできなくなってしまいます。しかし、この考え方は人生や日常のすべてにおいて適応すると思わないで下さい。

 

人の目は、それなりに気にしていたほうが良いです。

 

これは監視されていると思ったほうが良いとか、家にいても緊張するべきという話ではありません。自分がおかれている環境や自分自身の目的・目標によっては、人の目を意識したほうがメリットはあるということです。例えば、人の目を気にしていると以下のような自分を維持できるようになります。

 

 ・身なりを整えようとする

 ・言葉遣いを正そうとする

 ・挨拶などの社交性を意識するようになる

 

「へ? これだけ?」と思われるかもしれませんが、では人の目を気にしないとどうなるでしょうか? 

例えば、自分が配達員になったと考えてみてください。とあるアパートの1室に荷物を届け来たものの、インターホンを押してしばらく待たされた挙句、出てきた人は髪はボサボサ・ボロボロのジャージ姿、何だか汗と生乾きの雑巾の混じった臭いがします。しかも、「何? 忙しいんだけど」という態度を露わにしてイラつきながら出てきました。荷物を届けてきたことを伝えると、相手は「あーはいはい」と適当に判子を押して荷物を引き取ったら、そのまま黙って目も合わせずに扉を乱暴に閉めてしまいました・・・と極端な例をご提示しましたが、これが人も目を気にしないという状況です。

 

「いや、配達員にそこまで気を遣わなくてもいいだろう」とか「別に配達員なんてそうそう会わないし、こっちの見た目とか態度なんて気にしないだろう」とか「向こうだって色々な人を見ているし、そこまで気にするのは大袈裟だろう」などと思われるかもしれませんが、果たしていいのでしょうか?

個人的な意見ですが、顔を合わせる機会の少ない配達員の目すら気にしない人は、友人や家族、クラスメートや同僚、先輩や上司などの目上の人たち、商談中の取引先などに対しても類似のズボラ具合を垣間見えさせてしまいます。一見するとちゃんとしているように見えますが、ちょっとした振る舞いで「ああ、この人はプライベートだとだらしないのだな・・・」と察して、距離を置かれてしまうこともあります。

 

とはいえ、何も配達員が来るたびに、髪を整髪料とドライヤーで整えたり、ジャージから外出用の衣類に着替えて、お客様を迎えるような振る舞いをしたほうが良いという意味ではありません。せいぜい玄関の扉を開ける前までに顔と髪を鏡で見たり、ジャージ姿にはちょっとモコっとしたり暑くなっても上着を羽織るとかすればいいだけです。要はわずかの時間でも対面する人への配慮ができるかどうか、という話です。それに、良くも悪くも最近では自宅でマスクをしていても不自然ではありません。肌荒れが気になるならば、マスクをすることで顔面の見た目はおかしいと思われなくなります。

また、見ず知らずの配達員であっても荷物を届けてくれたことに「ありがとうございます」「お疲れ様でした」といった御礼や労いの言葉をかけることも大切です。よくご近所さんに対してすら「挨拶をすればいいか迷う」という悩みを抱く人がおりますが、おそらくこのような小さない対話をしていないため、単純に慣れていないだけだと思われます。

 

つまり、日常において人の目を多少なりと気にしておくことは、自分自身を整えることでもあり、本当に関係を濃くしたい人と仲良くするための練習にもなるのです。処世術を身に付けるという意味で、少しは他人に良い顔をすることはあってもいいのです。「誤解されたらどうしよう」と心配されるかもしれませんが、誤解されたとしても「ああ、ここまでが表面的な付き合いで、ここから誤解の領域か」と判断するための練習にもなります。この線引きだって人の目を気にしないと判断できません。

 

人の目を気にせずに生きることが、さも日常を充実して歩むことができる最良の方法であるという風潮があるためか、最近では処世術というものを軽視している人が増えているように思います。

処世術というのは、何も出世のために上司などを持ち上げるといった悪い意味に捉える人がいるようですが、社会との関係を表面的でも円滑にするために使われるものです。自分自身のあり方や内面ばかりに集中するあまり、自分のことを周囲がどう見ているのかという視点をなおざりにしていると、いつまで経っても自分という殻から脱することはできなくなります。また、せっかく他人と言う客観的な視点により「あなたはこう見えますよ」と伝えられて自分のあり方を見直す機会があっても、人の目を気にしないという他人と距離感を置いてしまうと自分のあり方は硬直化してしまいます。それで果たして本当に充実した日常になるのでしょうか? 

 

このように、人の目を気にするというのは、それなりに・多少はあったほうが良いのです。人の目を気にしないというのは気楽と言えば気楽ですが、社会との関りがあってこその日常です。また、自分がやりたいことを思う存分やると言った軸があれば良いのですが、やりたいことをやるのだって大なり小なり他人が関わります。評価をしてもらいたいと思ったところでも、評価もまた他人がするものです。それを正当に受け止めるためには、結局は人の目を気にするという原点に戻ってしまうのです。やはり、私たちは多少なりとも人の目を気にするということがある、と割り切って生きていくしかないのです。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。