アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

「表現」は昔のほうが自由だったのか?

アラフォー童貞のODです。

 

昭和、平成、令和という元号を跨いで生きている方は多いと思います。もちろん、昭和以前から生きてこられた方だっておられるでしょう。元号の変化とともに様々な通信技術の発達から情報化社会が進んだり、自然環境が変化したり、グローバル化から”外人”という言葉も死語になっているようにも思われます。

 

さて、このような時代が変化するなかで、人間の生活様式で変わらない風景もあります。例えば、コロナ感染のリスクがあってもショッピングモールや行楽施設に足を運んだり、感染拡大が鎮静化しても再拡大しても飲食店の前に長蛇の列に並んでいることもあります。正直言ってしまえば、別に行楽施設や飲食店に行かなくても生きていくことはできるのに、リスクを背負ってまでいく人がいることは事実としてあります。

これは何も「感染リスクがあるのだから、不要不急の外出はするな」といった非難をするわけではありません。行きたければ行けばいいですし、リスクがあると分かっていても家族のためとか自分の精神安定のためにやむを得ずという人達だっているでしょう。止めようがありません。

 

何を言いたいのかと言うと、人間はいつの時代もどのような状況下であっても、必要でなくてもそうでなくても、娯楽というものを追い求める生き物だということです。

 

娯楽の様式も変わってはおります。特にテレビ中心だった時代からインターネットの動画を観る層の割合も多いですし、レンタルビデオ(DVD)は今もありますが、これも動画配信へコンテンツが移行しております。本についても私自身は紙媒体は好みますが、電子書籍でだって読みます。

 

そのような娯楽の必要性と媒体の変化について考えたときに、1つ気になっていることがあります。それは「表現の自由」です。昨今は「表現とは昔のほうが自由で伸び伸びとしていた」「現代は規制ばかり」と言ったことから、娯楽としての作品もつまらなくなったような評価をされる人はいるようです。

 

では、昔のほうが規制は緩くて表現は自由だったかというと、そんなことはないようです。いつの時代だって「ここまではOK(だろう)、ここからはNG」といった切り分けはあったように思います。例えば、女性の肌の露出だって、上半身は胸まで見せておりましたし、しかし、下半身は下着までで陰部を決して見せることはありませんでした。それだって時間帯は限られていましたし、たまに地方に行ったときに再放送などで日中帯やってても、それは親や周囲が止めていたと思います。

 

また、このように「ここまではOK(だろう)」があったからテレビなどの娯楽が面白かったかと言えばそんなことはなく、結局は規制の有無に関わらず「面白い物は面白い」「名作は名作」となるのです。

そのため、表現への規制について「昔に戻ればいい」「昔のほうが良かった」というのは少し思考停止な気がします。今は今の楽しみ方がある。無理に戻す必要はないのです。

 

それに今も昔も、娯楽に携わっている人たちには製作陣も俳優・タレントの皆さんも責任が付きまといます。それは楽しそうにしても、好き勝手にやっているように見えても仕事でやっており、お金が発生する範囲でやっているからです。テレビやメディアを通じて1つの娯楽を作るには、表現の自由とか規制のありなしは関係なく、関わっている責任を負っているので娯楽を楽しむことができるのでしょう。まあ、動画などのコンテンツを個人でも発信できる現代では、一般人も責任があり叩かれるときは叩かれているようですが・・・。

 

ともあれ、私たち人間には娯楽が必要です。どの層がどのような物を好むかは別として、そこに対して楽しむこともあれば不快に思うことだってあります。それを誰もが同一の評価にするならば、世の中は面白くなくなるでしょう。だからこそ「表現の自由」とか、それに対してのモラルと言う意味で規制というものもあるのだと思います。

 

「昔はこうだった」と言いたい気持ちは分かりますが、「今を楽しむ」ための視点や工夫をもって、もう少し現代の娯楽を楽しんでみても良いのではないでしょうか?

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。