アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

「何をしているときが幸せですか?」という困る質問に対して考えてみた

アラフォー童貞のODです。

 

何をしているときが幸せを感じるでしょうか?

美味しいご飯を食べているとき、ゲームをしているとき、家族や恋人と一緒にいるとき、困難な仕事を乗り越えたとき、キャンプに行って焚火を眺めているとき、スポーツでライバルに打ち勝ったとき、休日にする二度寝・・・色々とあるでしょう。

 

しかし、私はこの手の質問をされると困ります。

別に日常で幸せや悦びを感じることがないという意味ではなく、何かをしている最中に「あー、幸せだ」と自覚することがないからです。そのため、何かのタイミングで「何をしているときが幸せ?」などと聞かれると、「えーと、あれか? ・・・いや、何だろう?」となってしまいます。

 

これはある意味では、それこそ幸せなことなのかもしれません。というのも、日常におけるピンポイントの何かに幸せを感じるより、現在の日常や自身の状態そのものが幸せという解釈もできるのですから。

 

確かに仕事で辛いことはありますし、辞めたくなることだって頻繁にあります。そのたびに辞める準備をしては別の課題を見つけて解決して・・・とそのサイクルで生きながらえております。そのおかげか最低限の衣食住には困ってはおりませんし、適度な運動と睡眠がとれていれば良いという感じの毎日です。意図的に節約しているつもりはありませんが、これといった趣味はなく、せいぜい本にお金をかけるくらいなもので、動画で特定のチャンネルを定期的に眺めていれば満足できてしまいます。

欲がないというわけではなく、欲しいものややりたいことはありますが、自分の時間もお金も有限ということは分かっておりますので、それらを何に分配しようかと考えたときに、まずは自分の肉体を維持するための取り組み(食事・睡眠・運動など)に割り振ります。そして「さて、あとはどうしようか?」と思ったときに「・・・まあ、後は別にいいかな」と思ってしまうのです。

 

このように改めて自分の幸せなどいうものを振り返ってみると、何かをしているときや何かを手に入れたときの幸せというのは、あまりないのかもしれません。だからと言って、人生訓的な本に書かれているような「生きてるだけで幸せ」というほども思ってもいません。まあ、生きているからこのようなことを考えられるわけですが。

 

何だか他人事ですが、「幸せになりたい!」といったように幸せという言葉やあり方を追求することにエネルギーを注ぐ日々を送るよりも、何かをしてきたその1日を終えた寝る前や1年を過ごした後の力が抜けた瞬間に「あ、幸せかも」って思ったほうが、それこそ幸せとやらで満たされるのかもしれません。

 

何だか思いついたことをズラズラと書いた、自分語りの記事となりました。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。