アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

強制的ではあるが、「体調不良時は休む」を社会が容認するようになってきた

アラフォー童貞のODです。

 

昨今は発熱や咳などの症状があると、本人の回復と感染拡大を防止するために「すぐに休む」ということが当たり前になっております。いくら仕事で重要な役割にいても、そこで無理を押して職場に出てしまうと多くの人に迷惑がかかり、そのときは乗り切っても事の詳細が発覚すると信頼を損ねてしまいます。当たり前と言えば当たり前です。

 

しかし、5年以上前に遡ってみると「多少具合が悪いくらいだから出勤しよう」「熱があるけれど、仕事に行かなければ迷惑がかかる」と考えて体に鞭を打っていた人は多かったと思います。また、社会もまた暗黙の了解のように、多少体調が悪いくらいならば頑張るものという風潮にあったとも思います。今でこそ感染症に対して世の中が敏感になっておりますが、職場によってはインフルエンザで高熱があっても出勤するように言ったり、体調管理ができていないと責める上司もおりました。それくらい感染症というものへの危機意識が薄く、どこか他人ごとだったのでしょう。

 

このように現代に照らして考えると、具合が少し悪いどころか、発熱があっても頑張ることを自他ともに強制していた時代というのは異常だったのだと、改めて気づかされます。まあ、そのようになったのは、ここ数年の感染症の規模や被害が尋常ではないことに由来しておりますし、また現代医療や科学などが発展したおかげということもあります。また、情報化社会において1人1人が色々な事象に対して根拠や背景を知り、それまでの当たり前に疑問を抱き、そしてそれを「おかしい」「変えなければ」と言えるようになったからでもあると思います。

 

容易に外に出れない、人と対面するのも一苦労といったように、社会が強制的に変わってはじめて、「会社に行くのが普通」「会議は対面でするもの」という固まった考え方から「・・・別に職場にわざわざ行かなくてもいいのでは」とか「ネット社会でスマホでやり取りできるじゃん」とか、誰もが薄々思っていたことを形にできるようになりました。その結果として、やはりそれで問題ないということが分かってしまいました。

 

また、職場で出勤停止となったスタッフが出ても、最初は「うわ~」となっても多くの職場では何とかしているようです。「あの人じゃなきゃ分からない」となっても結局は「自分達でなんとかしよう」となって、結果的に何とかなってしまうわけです。もちろん、元々の担当者のほうが質の良い仕事を提供できたかもしれませんし、場合によっては成果物の形が変わってしまって顧客に不満を抱かせたこともあるでしょう。それでも何とかしたと言えば何とかしているわけです。

また、何とかしている過程でも「あれ、別にこれやらなくて良くね?」とか「〇〇さん、なんでこんな回りくどいプロセス踏んでるんだ?」と担当者自身も気づいていなかった改善点に気づいてしまうことがあります。これは私自身がこの数年間で幾度も実感したことです。

 

失礼な物言いですが、担当者のこだわりや古い手順を続けていたがために、「その人しかできない仕事」になってしまっていることは結構あります。当人が自分の役割(縄張り)を守るためにやっているわけではないと分かりますが、自分しかできない仕事に優越感を持っていることは少なからずあると思います。

しかし、当人が体調不良で何ともできないとき、業務手順などを確認していくと無駄がに気づかされます。そうしていざ手順やツールを変更したところ「なんだ、こんなに簡単にできるじゃん」とか「これで誰でもできるようなる」ということはあります。これは担当者を非難しているわけではなく、個人の力に頼り過ぎた職場にも問題はあります。しかし、その担当者自身も定期的に手法を見直したり、他にも自分の仕事をできるようにするという体制はあっても良いと思います。情報やツールがたくさんある現代、個々のスキルによる職人気質もあって良いですが、どこかのタイミングで大量生産を可能にできるような発想も必要になってくると思います。

 

何だか社会的な内容となりましたが、ひとまずは発熱などの体調不良時にちゃんと休めるようになった時代になったことは、ある意味で良い変化だと思います。あとは世の中の人が「体調不良のときはちゃんと休む」「元気なときは頑張る」「疲れたら休む」「ギリギリまで頑張り過ぎない」といった休むということに罪悪感を抱かない社会になれば良いと思います。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。