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小説における「解説」の意義

アラフォー童貞のODです。

 

小説を読んだ後、最後に「解説」というものがあります。作家や学者、タレントさんなど色々な分野の方々が、その小説について物語を振り返ったり、自身の思いや見解などを述べたりしております。

 

解説を読む人、読まない人がそれぞれどのくらいの割合がいるのかは分かりませんし、言ってしまえば読まなくても全く支障はありません。物語を読み終えて一息ついたところで解説を意気込んで読むこともないでしょう。

 

では、解説とは何のためにあるのでしょう? 今読み終えた物語を振り返っても、それは"あらすじ"という扱いになってしまいますし、物語を読み終えた自分が色々感じたばかりなのに、そこに著名人とは言え他人の考えを挟むということを嫌な人もいるかもしれません。

 

ちなみに私は解説を読みます。と言っても、何となく読んでおります。しかし、時には解説を読んで良かったと思うことも多々あります。

 

例えば、映画を見終わったあとに「誰かと感想を言い合いたい!!」と思ったことはないでしょうか? 現代ではインターネット上に意見交換をする場がありますし、自分の考えを伝えるツールやプラットフォームがたくさんあります。しかし、それは自分の感想を一方的に伝えるだけで終わってしまいます。そこに他人の感想をじっくり聞く・知る・受容するということがないため、自分自身の感想や思いは深まらないのです。

小説における解説は、「自分はこう思う」ということを一度脇に置いておき、じっくりと他人の感想に触れる機会だと思うのです。物語の同じ場面で同じ感想をもったならば嬉しいでしょうし、同じ場面で別な感想を持って少しムカっとくるかもしれません。しかし、このような共感や反発もまた、自分が触れた物語のあり方をより深めてくれるスパイスになるのです。

 

また、解説で改めて物語の各場面や全体的な内容を振り返ることがありますが、それに対して「今読んだばかりのことを、改めて書くなんて文字数の無駄だ」と思われるかもしれません。しかし、改めて振り返ってみると意外に忘れているものです。映画やドラマなどでもそうですが、お互いに話しているうちに「そんな場面あったっけ?」「あの登場人物、そんなこと言ってたっけ?」ということがあります。特に小説は言ってしまえば一人作業なので、話の内容が面白いと「早く次に進みたい!」と気が急いて、細かい描写を自分タイミングでざらっと読んでしまうものです。そのため、解説で物語の内容を振り返るというのは意義があります。

 

それに、物語を振り返ったうえで解説者の見解を交えると、「あのシーンはそこにつながるのか~」とか「なるほど、言われてみれば確かにそうだ」という気づきが生まれることもあります。自分はあんなに食い入って読んでたと思ったのに、割と原作者が仕込んだ伏線や意味などを理解しないまま話を読み進めていたと、反省することもあります。小説を全体的に読み返すことは少ないですが、このような気づきに至った時はパラパラとページをめくり直してみると楽しいものです。

 

あとは、小説を読み終えてから解説をする人を知ることが多いため、場合によっては好きな作家さんや意外な著名人だったりすると驚くこともあります。別にその人たちの大ファンというわけでないのに、別に会ったこともないのに「同じ小説を読んだ」という一つの共通点だけで一気に好感度が上がります。(いやはや単純であります)

 

もちろん、人によっては独特な文体や見解をもった解説をされることもあります。物語に対して物語チックな感想やポエム調の見解を記しているため、私のようなイメージが貧困な読者においては「?」となってしまいます。まあ、それで別にメインの物語への印象が変わるわけではありませんし、その解説者が嫌いになるということもありません。特に時間の無駄だったとも思わず、せいぜい「まあいいか」と心の中で終わるだです。

 

・・・と、このように小説における「解説」の意義を、かなり個人的な考えでまとめましたがいかがだったでしょうか? つまり、1つの物語を語り合う場であり、解説者を通じて新たな知見を得る機会にもなると考えているわけです。ちなみに私は映画のエンドロールをぼーっと眺めているのも好きで、「ああ、こんなに多くの人が関わっているのか」と思ったり、映画の余韻を楽しむ場であるとも思っております。

 

はえい、物語の楽しみ方は色々です。時間に余裕がありましたら、ぜひ「解説」にも目を通してみてください。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。