アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

他人が示す情報への安心感、そして思考停止

アラフォー童貞のODです。

 

昨日の記事では、インターネット上で見かける『〇〇でほぼ確定』というタイトル及びその情報の真偽性に対しての疑問から始まり、ほぼ確定情報はその時点では有益性はないことから、娯楽的な認識であれば問題ないけれど正しい情報として受け止めないほうが良い、ということをまとめました。

 

とはいえ、私たちは不確定な情報であっても自分とは全く関係のない情報であっても、ついつい気になってしまうと「〇〇でほぼ確定・・・ちょっと見てみようかな」と手を出してしまい、ガッカリしたり怒ったりと心を乱さてしまうのです。

 

このような不確定な情報でも手を出してしまうのは、私たち人間は情報を糧として社会を回しており、かつ生物としても情報によって古代から生き延びてきた遺伝子が残っているため、仕方ないことと言えます。

 

それでも、不確定な情報に触れるたび心を乱すのは心身ともに良くありあません。

ちゃんと自分にとって必要なこと、具体的には自分の日常にとっては必要なこと、大袈裟に言うと自分の生命に関わることに絞って情報に触れることが大切になります。

 

しかし、私たちは他人が示す情報に対して敏感であり、かつ安心感を得るものです。

その安心感を得る情報が多ければ多いほど、その情報を欲してしまいます。

おそらくですが、『〇〇でほぼ確定』という不確定情報につい手を出してしまうのも、その情報を見ることで安心感を得られる期待を抱くからだと思われます。

 

一方で私たちは自分で考え、自分で選択・判断し、そして創造することがもできます。

どちらかと言うと、これら一連のプロセスを脳内や行動によって形にして、他者や世の中へアウトプットするほうが承認欲求なり自己肯定感も満たされるはずです。

他人が示す不確定な情報よりも、自分が苦心して編み出した情報のほうが精度が高いと思いますし、自分の打ち出す情報によって他者や社会が良い方向に変えられれば尚更満たされるでしょう。

・・・しかし、それはさておきと言わんばかりに、私たちは他人が示す情報を求めてしまいがちであり、その情報量が多ければより安心感が得られるとも考えております。

 

このように考えてしまう根本としては、人間は自分で考えて、選択・判断し、創造することが楽しいと分かっているけれど、一方で面倒くさいとも思っております。

つまり、「思考停止」したいのです。

 

自分の生活をよりよくしたい、精神的に落ち着きたい・満たされたいと思ったときに、それなりに脳や肉体、エネルギーや時間を消費するわけですが、一方で「考えたくねー」「動きたくねー」とも思います。

そんな思考停止の状態なったときに、自分の課題を解決してくれそうな他人の情報が現れると、「これでいいじゃん」「これで解決する」という歪んだ安心感が生まれてしまうのです。

そんな安心感を覚えてしまうと、もういっそ他人の示す情報でいいとなってしまい、癖になって『〇〇でほぼ確定』といったレベルの情報であっても手を出してしまうのだと思います。

 

別に他人の情報を否定しているわけでもなく、自分の編み出した情報に自信をもってということでもありません。

昨日の記事でお伝えしたかったこと類似しますが、安心感を得られるからと言って、有益性のない情報に次々と手を出すのは控えたほうが良いということです。

 

安心感というのは自分で生み出しつつも、他人との関りでも作られます。

本当の安心感を得たいならば、他人の情報を厳選し、自分の頭と行動で何とかするという姿勢が大切ではないでしょうか。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。