アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

ほとんどの物事は「うまくいかない」と考える

アラフォー童貞のODです。

 

昨日は「仕方がない」をテーマに記事としました。

世の中は仕方がないことだらけ・・・自分の目の前で起きている現象や関わっている人間のほとんどはコントロールできません。

それどころか、自分自身の肉体や感情だってコントロール不可に陥ることがあるのですから、状況や環境・人間関係をコントロールすることは余計に不可能なのです。

それなのに、私たちは「もっと頑張ればうまくいくはず」「成功している人は粘り強く乗り越えたから成功したのだ」という希望を抱いて頑張るわけですが・・・不可能なことを頑張ったところで変化は起きるわけがありません。

 

このように書くと、デリカシーのない酷いことを言っていると思われるかもしれませんし、「努力しない奴の言い訳」とか「諦めずに乗り越えた経験がない奴だ」などと毛嫌いされるかもしれません。

しかし、現実として努力をしたことがダイレクトに成果に結びつくのはかなり稀であり、それが叶うのはせいぜい学校のテストくらいのものでしょう。

それは学校のテストには答えが定められているからであり、そこに個人の感情が入る余地はないからです。(まだ教えていない漢字を使ったから間違い、などという奇妙な指摘をする教師はさておき・・・)

それに対して、現実に巻き起こる出来事や面倒くさい人間関係は答えなんてものはなく、1人1人異なる個人の感情がうずまきゴチャゴチャです。

そんな状態に対してキレイに解決しようとか、自分ひとりの力で何とかしようとか、努力や熱意でどうにかなると思うのは、失礼ながらおめでたい考えです。

 

ほとんどの物事は「うまくいかない」と考えたほうが良いです。

 

特に全ての物事は時間とともに変化します。

昨日までイエスだったものが、翌日にはノーという価値観になることもあります。

そのなかでイエスのままでいたいと思っても世間がノーとなったのならば、それはノーという世間に合わせるしかありません。

そしてこれは頑張っても解決しない、努力だけでは変えられない問題も同様です。

 

つまり、時間をかけても努力しても状況が変わらない、解決しないときには「手放す」「諦める」という選択肢も見つめなくてはいけないのです。

1つの物事を諦めずに追求する人は美しく見えますが、それはその対象が大好きだからに他なりません。

「何かで成功したい」「何かで注目されたい」「他者よりも秀でた存在になりたい」と思うのならば、時間や努力に費やした時間やエネルギーをもったいないと思ってさらに足掻くよりも、勇気をもって見切りをつけたほうが良いと思います。

ここで「そもそも、自分のための努力なんて考えが間違っている。だから失敗するんだ」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、個人的には自分のための努力だって良いと思っております。

他人のために貢献する気持ちだって、それだけでは成果に結びつかないことだって多々あることを忘れてはいけません。

 

大切なのは、費やした時間や努力の量ではなく、時間や努力を費やしている途中で定期的に「今やっていることは答えがあるのか?」「社会にとって価値があるのか?」「自分のやっていること以外の選択肢はないか?」そして「撤退するという道も考える必要はあるのか?」といった自問自答を行うことです。

やみくもに時間や努力を重ねるよりも、熱意や他人のためとかいった言葉で自分を誤魔化すよりも、考えられるだけの知恵や選択肢の模索をもって行動をした結果、手を引くことを潔く決められる人のほうが私は見ていて気持ちがよいと思います。

 

実際成功している人たちの多くは、いくつもの挑戦と失敗を重ね、そのうちの1つが大きく成功しているだけです。

その1つの成功が大きすぎるものだから、周囲はそれまでの挑戦と失敗や現在進行形の挑戦や失敗も見えなくなってしまうだけです。

成功者たちだって「頑張ったけれど、愛着はあるけれどここまでだな」と身を引いたことはあるはずです、というか他人の何倍・何十倍もあるはずです。

しかし、それは「ここまでやったから」という自負とともに「これ以降も続けるよりも新しいことや違うことに時間を注ごう」という冷静な決断があっての話です。

成功者たちから学ぶところがあるとすれば、このような挑戦と失敗に対しての捉え方ではないかと思います。

 

何だか説教臭い話ですが、私自身もまた物事に執着するあまり身の引きどころを間違えることは多々あります。

事例を挙げればキリはありませんし、成功者ほどの量はないので割愛するものの、仕事などで「これ以上はうまくいかない」と判断したときには、ボロボロになりながらも自分の中で「ここまでやったから、もういいだろう」と思えるものです。

もちろん、ときには他人から誹謗中傷を受けることもありますが、それでも責任はとりつつも「他人からどうこう言われても、責任もとるつもりだし、これ以上頑張ってもうまくいかないことは他人には分からないもの」と思って割り切っています。(というか、そう思うしかないことが多いです)

 

そして、割り切るための根本として「ほとんどの物事はうまくいかないもの」と考えると少し気楽になりますし、自分自身も許せるようになるのです。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。