アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

「罪悪感を抱く」と言うが、罪と責められるほどの悪はあるのか?

アラフォー童貞のODです。

 

糖質制限中なのに、寝る前に甘い物を食べてしまった。

忙しい時期に体調を崩して会社を休んでしまった。

せっかく教えてもらったことを活かせなかった。

親の期待に応えることができなかった。

 

このような個人の意思の弱さや他人への迷惑、恩義に対して報いることができなかったとき、私たちはいわゆる罪悪感を抱きます。

 

さて、罪悪感という文字ですが、”罪”と”悪”と”感”という3文字で構成されております。

”罪”と”悪”についてはひとまず置いておいて、最後に”感”という文字が使われているということは、罪悪感とはその当人の個人的な感覚ということになります。

見方を変えると、何かの事象に対して自分が罪悪感を抱いていたとしても、それは自分が勝手に感じていることであって、他人が感じているわけではありません。

例えば、冒頭の例で「甘い物を食べてしまった」ということに罪悪感を抱いているのは当然その個人ですが、「体調不良で会社を休んでしまった」ということに対しては会社の同僚などが罪悪感を感じることはない、これも自分が勝手に感じているものです。

つまり、罪悪感を抱くということは誰からも責められていないのに、勝手に自分のことを責めている状態ということになります。

 

このようなことを書くと、「忙しい時期に会社を休めば同僚から責められる!」「教えてくれた相手に報いたいと思うのは当然だろう」「親をガッカリさせるのは嫌だ」などと反論がくるでしょう。

 

しかしどうでしょう? 

自分を責める、他者から責められるほどのこととは、一体なんでしょうか?

・・・というわけで、ここで罪悪感の”罪”と”悪”という文字に注目したいと思います。

 

健康管理は大切ですが、1日くらい夜中に甘い物を食べてしまったからと言って自分自身を責めるほどのことでしょうか?

その日の出来事が、1年後、3年後、5年後に大きく悪影響をもたらすでしょうか?

「あの日、あの時、甘い物を食べなければ・・・」なんてことはあるでしょうか?

これは罪でしょうか? 悪なのでしょうか?

 

忙しいときに会社を休んでしまうのは、結果的には職場に迷惑をかけます。

しかし、体調不良で無理に出勤したとして、周囲から褒められることはないでしょうし、感染というワードに敏感な世情において、何なら「そんな状態で出勤してくるな!」と別な意味で責められることもあります。

また、他のスタッフ、上司、経営者、取引先だって・・・働くという人生において体調を崩すことは絶対にあり、場合によっては一定期間や長期間休むことだってあります。

それを置いておいて、1日か2日体調不良で休んだところで、自分自身を責めたり、あるいは休んだ同僚を責める人はいるでしょうか?

体調不良で休むことは罪でしょうか? 悪なのでしょうか?

(もし責める人がいたら、それはブラック企業というか色々な意味で病んだ職場かも・・・)

 

せっかく教えてもらったときも同様です。

親の期待に応えらえれなかったときも同様です。

それは罪なのでしょうか? 悪なのでしょうか?

 

私たちは生きていれば間違った選択をしますし、誘惑に負けて非合理な行動をとってしまうこともあります。

体調を崩すことなんて幾度あるか分かりませんし、「いつまでも活き活きと長生き」というフレーズ通りに生きれるのは実際はごく一部です。(もはや運と言って良い)

教えてもらったことや自分で勉強したことがたくさんあるのに、それを活用しきれないことなんてたくさんあります。

親の期待に応えられないことだって普通にありますし、何とか応えたところで「そのくらいは当たり前だ」とか「もっと高みを目指せ」と果てしない期待を課せられることだってあります。

 

今一度、確認します。

「罪悪感を抱く」と言いますが、日常において抱く罪悪感というものは、本当に自分を責めること、他人に責められるほどのことなのでしょうか?

自分を責めている事象は、本当に”罪”なのでしょうか? ”悪”なのでしょうか? そしてそれらは自分自身を苦しめるほどの感情や思いなのでしょうか?

 

私はそんなことはないと思います。

責める・責められるの話ではなくて、単純に価値観や認識の違いというだけです。

特に平和な日本という国において、かつ多様性も容認されている素晴らしい時代です。

”罪”だの”悪”だのという断罪レベルのことをする人は、そうそういないと思います。

そのような人がいたとしたら、それは社会的倫理観や法律に反している人だけです。

 

だから自分を責めたくなっても、罪悪感を抱かなくてもいいのです。

なぜならば、そこまでの”罪”や”悪”を”感”じるほどのことをしている人はおりませんし、罪悪感を抱いている人を裁ける人なんていなのですから。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。