アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

「世の中に無駄なことはない」・・・いやいや、無駄だらけ

アラフォー童貞のODです。

 

誰しも、日常において自分が一生懸命やっていることや、周囲からの期待を受けて責任をもって果たしている役割などが何だか無駄に思えてくることはあります。

学生さんなら「何で学校行くんだろう」と思い、社会人もまた「この仕事に何の意味があるのだろう」とため息をつくことがあります。

 

このようなとき、そのような状態を察知した人の中には「この世に無駄なことはないんだよ」「ちゃんと1つ1つのことに意味がありますよ」などと諭してくれます。

しかし、気を遣ってのお言葉というのを承知のうえで申し訳ないのですが、私はあまりそのようには思えません。

 

この世は無駄なことばかりだと思います。

1つ1つのことに意味を見出していたら、頭がおかしくなります。

 

この世に無駄なことがないのだとしたら、パソコンやスマホを除いてみてください・・・画面上に表示されているたくさんのアイコンはすべて必要と言でしょうか?

また、その中には簡単にインターネット上につながって、数多の情報を入手できますし、世界中の人たちと交流することができます。

インターネット上で発信されている情報・・・地域、国内、世界、社会情勢、経済、芸能などの情報はすべて自分にとって意味があるでしょうか?

SNSで関わっている人たちは全員、自分にとって大切な存在と言えるでしょうか?

どうでもいいニュースや自分には関係のない話、1つのキーワードだけで画面いっぱいいに表示される検索結果や関連加増などは、1つ1つに意味があるでしょうか?

 

特に情報というのは、しかるべきテーマがあったとしても、情報を集めすぎると一定量を超えた段階から知識の吸収率・気づき・発想力は低下すると言われております。

パソコンやスマホのアイコンだって過剰な情報の表れであり、職場のデスク上に散らかった書類や処理が終わっていない付箋紙やメモなどもまた、1つ1つは確かに大切かもしれませんが、それぞれに対して自分にとって意味のあることと認識して扱っているでしょうか?

もしも全ての事柄を大切に扱っているならば、それは真摯的ですが限界があります。

上記でもお伝えしましたように、1つ1つを意味あることとするならば、情報過多になってしまい頭の中がパンクしてしまい、いくら他人のためになるかもしれなくても、自分自身を削るようななってしまう人生は決して良いとは思いません。

 

ときには「これは無駄だと思う」と素直に思って良いのです。

もちろん、周囲から怒られる可能性もあるので、なるべく心のうちに秘めましょう。

また、そのときには目の前の事象の大切さや価値が分からないこともあるので、あくまで「今の自分にとって無駄だと思うわー」と思ってください。

後になって「あのときの出来事は意味があったのか」「あの時期に意味がないと思っていたけれど、やっておいて良かった」と自分なりに気づきがあれば、それは良しです。

 

世の中には自発的に取り組んだことや自分で決断・判断したことが、きっかけ・過程・結果として表れることがありますが、物事はそれだけではありません。

むしろ、受け身にならざるを得ない事象、想定すらしない出来事、いきなり結果だけが急に目の前をに現れて、それらに対応せざるを得ないことのほうが多いものです。

それらに対して「すべてはが無駄ではない」「1つ1つに意味がある」なんて考えていたら、それこそ時間の浪費(無駄)になってしまいます。

 

まずは自分の選択・決断・判断したことを大切にしましょう。

ときにはスルーすること、自動運転モードになることも必要です。

 

自分を優先しつつ、何割かの出来事は力を抜いて、頭を空っぽにして取り組んだとしても罰は当たりません。

そのくらいの対応をしたとしても、それ以外に対して真摯に向き合っているならば周囲から咎められることはないと思いますし、自分自身も「あ、これくらいでも問題ないのか」と気づけるはずです。

 

無駄があったっていいのです。

無駄と思えることがあってもいいのです。

だって、世の中も自分もまた無駄で構成されているのですから・・・。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。