アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

「情報収集の媒体として、雑誌は適切なのか?」を考えてみた

アラフォー童貞のODです。

 

雑誌という媒体は、スポーツや経済などジャンルごとに1冊としているものもあれば、色々なジャンルを網羅して1冊としてしているものがあり、その1冊の雑誌の中には特集や連載などページ数や記事の枠の大小はあれ、複数の人たちの考えや情報が詰まっております。

かつて私は雑誌を乱読しており、ニュースや新聞などと同様に「たくさんの情報を掻い摘んで得ることができる」「視野を広げられる」などと期待して読んでおりました。

しかし、実際に雑誌で得られた情報を活用したり、自分の思考に落とし込んだり、視野が広げられているかと言えば、決してそんなことはないと思うようになり、読書は日課としつつも、いつしか雑誌をほとんど手に取らなくなりました。

多くの人は雑誌を手にとるとき、情報収集などの目的や面白さといった期待を抱くでしょうが、「あれ、自分は何のために雑誌を読んでいるのだろう」「雑誌を読んでも特に視野を広げられるというわけでない」という、私自身が期待する目的が得られないと気づいてしまったわけです。

 

雑誌は気軽に手を出せやすい媒体ですが、新聞などのメディアと同様に多くの情報を得ようとすると時間はかかりるため、上記のように実際に得られるものが少ないと感じるのであれば、お金や時間などの費用対効果として割に合わないと思ったとしても仕方がないと言えます。

もちろん、全く意義がないというわけでなく、意外な情報に触れられるとか、想定外に好きな有名人のインタビューが載っていたとかサプライズはあるものの、それが頻繁にあるかと言えばそんなことはないため、ランダム性への期待もしなくなりました。

 

何も「雑誌はいらない」と言いたいわけではありません。

あくまで私個人としての、情報への認識と情報収集の範囲が変わっただけの話です。

 

上記のように読書は日課として続けているのは、1人の著者の考えや1つのテーマの情報に1冊の本を通じて集中的に触れることができるからです。(もちろん、雑誌でも1つのテーマを集中的に取り上げているものはあります)

雑誌だと1冊の中で複数の人物やテーマが混在することが多いため、何だか落ち着かなく感じるとともに、「もう少しこの人の話を知りたい」と思ったときに物足りなさを感じてしまうこともあります。

また、ここ数年の個人的な取り組みとして、意図的にニュースを見るということをやめてからというもの、ランダムに色々なジャンルに触れるような「視野を広げる」ということから、特定のジャンルや自分の興味に「制限する」ということに切り替えたことから、雑誌というランダムな情報に対して不慣れになってしまったということも要因にあると思います。

 

とは言っても、ニュースを見なくなったように、雑誌を読まなくなったからといって日常生活に支障をきたすことはありません。

むしろ以前のように「コレとこの雑誌は毎月読まなければ」といった脅迫観念から解放されたうえ、その分のお金もかかりませんし、雑誌を読む時間も削減できました。

その分、自分にとって必要だと思うことや興味あることに集中的に投資できるようになっていると実感しております。

もちろん、雑誌を読まないことへの機会損失もあるかもしれませんが、個人的な感覚として「知りたい人や情報には、いつか必ず出会うもの」というものがあるため、それが雑誌か本かという媒体の違いだけならば、例え出会う時期が遅くなったとしても、私は本を選ぶというだけのことです。

 

改めてお伝えしますとおり、本記事は雑誌を否定するものではありません。

どちらかというと、情報を闇雲に得ようとするよりも、自分自身のあり方を踏まえて「今の自分にとって必要な情報は何か?」を考えたうえで、「今の自分にとって適切な情報媒体は何だろう?」と見直してみてはどうか? というお話でした。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。