アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

「間違っていたら恥ずかしい」なんて思わなくていい

アラフォー童貞のODです。

 

家族や仲の良い友人などと一緒にクイズ番組を見ているとき、せっかく答えが分かったのに口に出さないことがないでしょうか?

これは「別にみんなも分かっているだろう」「すぐに答えが出るから言わなくてもいいか」という思いもあるでしょうが、それとは別に「答えが分かったから言いたい!・・・でも、間違っていたら恥ずかしいし」という気持ちもあると思います。

もしも思い切って答えを口にして、それが正解だったらその場にいる人たちから「おおー、やるね」と小さな賞賛を浴びるかもしれませんが、黙っているとテレビの中で出た答えに周囲が「へー」となって終わるだけです。

そこで「この答え、黙っていたけれど分かっていたんだ」と答えが出た後で言っても周囲は反応に困るか、「はいはい」と一蹴されるだけとなり、結局は「答えを言っておけば良かった」と孤独な後悔を味わって終わるだけです。

 

ポイントは「なぜ答えを口に出さなかったのか?」ということです。

それは上記のとおり「間違っていたら恥ずかしい」という気持ちがあるからです。

正解だったときの未来予想と間違っていたときの未来予想を比較して、後者のほうがリスクがあると判断したから黙っていたわけです。

 

しかし、間違っていたからといって実際はそこまで恥ずかしいものでしょうか?

もっと言えば、自分の脳内で思い描いた間違っていたときの未来予想というのは、そんなに信頼性と精度が高いシミュレーションなのか、というと、おそらく自分が思い描いた未来予想と現実は異なっているはずです。

例えば、クイズ番組を一緒に見ていた友人が自信満々に答えを言ったものの、かすりもしないほどの大はずれだったらどうでしょう? ・・・おそらく、笑って終わるだけでしょう。

そこで決して「こいつ、自信満々に言ってハズしやがった。痛い痛い。もう、こいつの言うことは何も信用しないようにしよう」などとまで思わないはずです。

 

何が言いたのかというと、人間というのはお互いにそこまで他者の発言を気に留めていないということです。

それなのに自分自身はというと、勝手に他人の反応を予測したうえに、信頼性に欠けるシミュレーションに対して自身の行動まで制限してしまっているのです。

・・・こう考えると、何だかバカバカしいと思えないでしょうか。

 

自分の考えを勇気をもって口に出したり、自分にとって大きな判断と決断で行動したときだって、それが不適切だったがゆえに恥をかいたと自分が思ったところで、実際は他人には関係のない話がほとんどです。

恥をかいたと思っているのは自分自身であって、それが例えどんな内容であったとしても、周囲からすれば「自分以外の誰かがクイズ番組の問題に答えを言ったけれど、それが間違っていた」と同じレベルなのです。

 

もしも自分が恥をかいたと自身の言動を後悔したとき、他人が失敗したときを思い出してみてください。

これは「そいつよりもマシだと思え」と言いたいのではなく、他人の失敗なんて内容や規模に関係なく大したものでないと思えるものです。

それどころか「身近な人が失敗した出来事を思い出してください」と質問されたところで、なかなか思い出せないのではないでしょうか?

それは自分が他人の失敗も含めた日常の言動を、そこまで重視していないからです。

そして他人から見た自分に対しての認識も同様だということです。

 

ここで他人の失敗をよく覚えている人、そしてそれを事あるごとに揚げ足をとるように喧伝する人がおりますが、そのような人は自分自身に自信がないので、他人の失敗を取り上げては自分自身の問題から目を背けているだけです。

突き詰めて考えると、他人の失敗を覚えている人もまた、結局は自分を守ることで精一杯ということなので、過去の失敗をちくちくと言われても気にしないほうが健全です。(むしろ同情したほうが良いかも・・・)

 

また、間違っていたら恥ずかしいと思ってしまうのは、親や学校の先生などから教育を受ける過程で言われ続けたために、間違いは駄目なこと・間違いは隠すことと思うようになってしまった可能性もあります。

教育の話まで及ぶと長くなるので本記事では割愛しますが、いずれにせよ間違っていたら恥ずかしいかもと思うくらいならば、言葉や行動で表したほうが良いのです。

間違いへの恐怖心や恥じらいを超えた先にメリットは必ずあります・・・とまでは言いませんが、自分が想像するほどのデメリットは生まれないものです。

 

某偉人は家族団らんの場で「今日は何を失敗した?」と子供に問いかけたそうです。

それは子供たちに挑戦する意義、そして間違いや失敗は悪いことではないと教えたかったからでしょう。

私たちも「ちょっと聞いて、こんな間違いしちゃった!」と失敗や間違いと思った出来事を語り合い、そして成長できるような世界にしていけば良いのかもしれません。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。