アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

コミュニケーションという、曖昧かつ変化しやすいもの

アラフォー童貞のODです。

 

世の中、人間関係で悩んでいる人は多いものであり、むしろ人間の悩みのほとんどは人間関係と言っても過言ではありません。

そして人間関係の悩みを解消するために多くの人が目を付けるのが「コミュニケーションスキル」というものです。

コミュニケーションスキルという単語の出始めがいつは分かりませんが、おそらく就職活動という単語が定着したころと同時期ではないかと考えております。

特に仕事ではどんなに個人のスキルが高くても、他者と連携することで成果を挙げたり高いパフォーマンスを出すことが求められていることから、コミュニケーションをとることは必要不可欠です。

 

しかし、誰もが同じようにコミュニケーションをとれるというわけではありません。

言語を介したスキルとして、仕事の話は流ちょうにできても雑談が苦手な人もいれば、寡黙だけれども社内外の調整はちゃんとできる人もおりますし、会議の場で意見はでないけれど飲み会の席で意外なアイディアを口にする人もおります。

非言語的なスキルとしても、困っている人にすぐに気づいて手伝おうとする人もいれば、直接手を出すのは失礼と思って間接的にフォローする人もいます。

 

コミュニケーションスキルというものは、ひどく曖昧で定量化することはできません。

それなのに社会では「このようなコミュニケーションスキルが望ましい」といったように統一化して提示したり、個人視点やその立場の物言いで「普通ならばこうするだろう!」と他者に押し付けてくることもあります。

・・・というと、社会の在り方を批判するようになってしまうようですが、そうではありません。

 

コミュニケーションスキルと言うと、まるで人間のあり方そのものに関わるものと思われるでしょうが、ハッキリ言ってしまえば「大抵の場合はこういう振る舞いをするだろう」という大雑把な姿勢であり、しかも場所や環境、時代などの目的やあり方よって変わりやすいものでもあります。

子供の頃までは言葉遣いや礼儀作法をうるさく言われることはないでしょうが、年齢が上がるにつれて、そして社会に出てから急に一般教養だのビジネスマナーだのと口うるさく注意されるのは、「相手を不愉快にさせない最小公約数的な振る舞いをしていれば、余計な問題を生じないための予防策」だったり「その言動ひとつで、相手との利害関係が大きく変わる可能性があるから」という理由があるからです。

 

もしも社会人になりたての人が上司や先輩から言葉遣いを注意されたとき、「今まで親や周囲から何も言われなかったので、急に変えろと言われても困る!」と不快感を抱いたとしても、それは場所や環境が変わったことにより、そこの目的に応じた振る舞いをするように適合しなければならないのです。

耳の遠い人に対して耳元で大きな声で声で話しかけたり、自分の考えを伝えるときに相手の知識量や理解量に合わせた言い方に変えたり、お客さんに商品をPRするときには多少なりとも業界知識を勉強しておいたりするでしょう。

ここで自分のあり方を押し通そうとしたり、相手に合わせないままに主張してしまうと、その場では問題なくても長期的には孤立してしまうのは自明の理です。

周囲の環境に自身の色彩を変える生物の”擬態”だって、獲物をとるため・外敵から隠れるための適応であり、それを「自分の本来の肉体のままで生きるぜ!」なんてしていたら、いつまで経っても獲物は捕れないし、反対に外敵にもあっさりと捕食されて自分の生命は終わってしまいます。

 

このように書くと、まるで自分という存在の否定のように感じられる人もおられるかもしれませんが、その認識は間違っています。

というのも、そもそも私たち人間は、大なり小なり環境に適応する振る舞いをできるようにできております。

それは「自分はコミュ障だ」と悩んでる人たちも同様で、いくらコミュ障や自己主張が強いなどの自分を自覚している人だって、家族でも友人関係であっても、多少なりの利害関係をともなう妥協や諦めをもったり、相手を思いやって配慮をしたり一歩引いたりすることがあるはずです。

一方、誰もが自分の知識や経験などから周囲とは噛み合わないチグハグなことを言ってしまったり、感情に任せて自己主張を続けたばかりに、結果的に孤立してしまうことがあります。

これが慢性的になったときに周囲は「きっとあの人は、●●っていう精神疾患があるんだよ」などとインターネット上で見聞きした情報に当てはめて、話が合わない人として線引きすることもあります。

すると、当人はいよいよ孤立が進み、周囲との相互理解も図れないまま「自分は精神がおかしいのかも・・・」とか「こっちの言うことを理解できない周囲が悪い」などとネガティブな方向になってしまうようになります。

 

つまるところ、多くの人は人間関係に悩んでおり、コミュニケーションスキルを身に付けようと考えているものの、その曖昧かつ変化も著しいスキルの扱いに戸惑っては自分を責めたり、他人を非難したりしてしまうのです。

何だかそれだと生きにくいですし、コミュニケーションスキルなんて曖昧なものに振り回されて人生が終わってしまいかねません。

 

もしかしたら、コミュニケーションスキルに対しては「こうだ!」と決めつけすぎず、大抵の場面においては「まあ、その場を乗り切れればいい」「最低限、その場のノリに合わせられればいいか」ぐらいに考えておいたほうが健全なのかもしれません。

そして、お互いの関係としても「まあ、お互いにコミュ障同士だ」と思えば、軋轢を生まないことを目的として表面的でも気配りし合える関係になるのではないでしょうか。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。